■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ書 23章21節(使徒の働き23章)

★わたしはこのような預言者たちを遣わさなかったのに、彼らは走り続け、わたしは彼らに語らなかったのに、彼らは預言している。

■O:今日のコラム
今日の箇所は主が言われて走ったわけでも、語ったわけでもないということが書かれています。

=自分勝手な歩みをしていたゆえではないかと思います。

自分にも言える事ですが、私たちは自分がしたいこと、自分が成し遂げたいことをしていないでしょうか?主からの召し、走るべき道を本当に走っているでしょうか?

主からの召しの中を走ることが出来ることは大きな喜びです。
もちろん走らなければならない道の中で苦しさ、困難、葛藤…色々ありますが、主からの召しならば耐えることが出来ます。
そして、実を見たら何にもまさる喜びに変わります‼︎

今日の箇所のように、主の道を走れない、主は語らない。主に遣わされてないのに、走り続ける。
これは本当に苦しいことです。
ゴールのない長距離走みたいなものです。

2テモテ4:7-8

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

主の召しの中を走る先は“義の栄冠”です。

主の召しに歩む人は教会のフルタイムスタッフでも、ビジネスの世界にいる人も主の栄光をあらわしています。1番カッコいい人はイエス様ですが、イエス様の次にカッコいい人は召しに歩む人だと思います。

私たちが走ることも、走るべき道を知る事も聖霊様によらなければ出来ませんが、どのみち走るのであれば、主の召しの中を走りたいと切に願います!

共に主から義の栄冠を受け取りましょう‼︎

■A:考えてみよう
私たちは自分の召しの中を歩んでいるでしょうか?

自分勝手な歩み、プランを捨て、主の召し出した道を走ることが出来ますように。

召しが分からない、確信がない。
その場合は分かるまで、確信が来るまで祈りましょう。

主の御前に立った時、「私は走りきりました!」そう言えるのは、自分の召しの中を走りきった人のみが言える言葉です。

これこそ最高にカッコいい告白であると信じます‼︎

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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