■S:今日の聖書の言葉
使徒16章6-9節(エレミヤ16章)
★それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
それでムシヤを通って、トロアスに下った。
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
■O:今日のコラム
初代教会の大きな特徴は、人間が中心ではなく、聖霊様が中心だったという事実です。
終わりの時代、主は、聖霊様に聞いて従う、そのような教会を回復してくださっていると信じます。
今日の箇所で、パウロ、シラス、テモテたちは、自分たちの計画、意思に反して、別の場所に導かれました。
登場する現地(トルコやギリシャ)の地名を日本の地名でたとえてみると、豊橋から静岡に行こうと思ったのに、禁じられて、名古屋方面に進み、そこから、もう一度長野の方に行こうとしたのに、許されなくて、仕方なく、滋賀の方向に進んでみたら、幻の中で、京都に来て下さい!と示された、というような感じです。
カーナビもGPSもGoogleマップもなく、彼らは聖霊によって行くべきところに導かれました!
マケドニヤ第一の都市ピリピで伝道を始めると、占いの霊につかれた女奴隷から霊を追い出してしまったことをきっかけに、投獄される。しかし、パウロとシラスが真夜中獄中で賛美して、奇跡の解放と救いが起こる。そして、後に、ここから、パウロに愛されたピリピの教会が出来た….。また次に福音を宣べ伝えたテサロニケでも、後のテサロニケ教会が始まった…。
これらのことを考えると、聖霊の導き、働きがどれほど素晴らしいか、また重要か、ということを改めて思わされます。
人間の計画で、あそこの町に行こう、この場所で教会を始めよう、ではなく、聖霊が語られ、行きなさい、という所に行く、ということが、重要だということです。
では、では、聖霊はどうやって、私たちを導いてくださるのでしょう?
内に起こされる願いや促しによって、御言葉によって、牧師やリーダー、親を通して、預言を通して、はっきりと聞こえる声、夢や幻によって、確信によって、扉が閉ざされたり、開かれたりすることによって…..、様々な方法で語られますが、一つの基本的な導き、それは、平安です。
ローマ8章6節 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
聖霊によって、キリストの御霊によって、導かれている時、そこには平安があります。
マタイ11章29-30節
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
私たちは、この聖なる神の霊、キリストの御霊を、聖霊様と呼び、私たちの中に歓迎し、共にいてくださることを感謝します。この方は、助け主、慰め主であり、すべての真理に導き入れてくださる真理の御霊であり、知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊です。
聖霊はただの力や存在ではなく、人格をもったお方なので、この方を悲しませないように、無視しないように、いつも歓迎し、また従っていきましょう。
この方に従って、導かれて行く時、そこには喜びと平安、主の臨在があるので、「そのくびきは負いやすく、その荷は軽く」、私たちは主のために、実を結び、主に栄光を捧げることができるのです。
さらに聖霊様と親しい関係を築く事ができるよう、求めていきましょう!
■A:考えてみよう
聖霊様、すなわち、神を知るための知恵と啓示の御霊を日々求めましょう。(エペソ1章17-19節をそのまま祈ってみましょう。)
異言で祈れる人は異言で毎日祈りましょう。
1コリント2章13節
この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
1コリント14章4節
異言を話す者は自分の徳を高めます
■P:祈り
知恵と啓示の御霊よ、聖なる神の霊よ、キリストの御霊よ、真理の御霊よ、助け主よ!あなたを歓迎します。あなたを認めます。あなたを愛しいます。あなたに従います。今日も私を満たし、導いてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
【 ともこ 】
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