■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き 9章16節(エレミヤ書9章)
★彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
■O:今日のコラム
パウロは主に召し出され、主の召しを走り切った人です。
そのパウロの歩みは確かに苦しみをたくさん通ってます。
「クリスチャンライフは全てハッピーハッピーだよ!」なんて救われる前は聞いた記憶がありますが、そんな事ないことは分かりきってます。笑
今日の箇所から学べることは、
主の召しの中、主の道を歩む中で苦しみも味合うということが学べると思います。
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
(ルカ9:23)
十字架を負うということは、楽なことばかりではなく、苦しみや痛みも味合うことです。
苦しみ、痛みを通る時私たちは「どうしてこんな事が?!」「神様なんてー!」と不平不満を言いがちです。
しかし、昔ティーチングで「愛されてるから、苦しみ、痛みを通され、イエス様の通った十字架の道の苦しみを分かち合わせてもらっている」という事を学びました。
花婿イエス様が愛してるゆえに、苦しみさえも共にしたいと願い共有してくれる。
苦しいですが、なんという喜び!!
■A:考えてみよう
先日、
私たちがどれだけ感謝しているか?=成長度、成熟度であるとレーマ聖書学院の授業で学びました。
苦しみ、痛みも通る時こそ喜び、感謝するチャンス!
旋風を巻き起こした「賛美主ハレルヤ」も苦しみの中で産み出された曲であると証しされてました。
全てに感謝しよう我が主に!
苦しみ、痛みも感謝し、喜ぶことが出来ますように。そして、満ち満ちた身丈まで成長することが出来ますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
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