■S:今日の聖書の言葉
サムエル記 第二 12章13節(サムエル記 第二 11章)

★ダビデはナタンに言った。 「私は【主】に対して罪を犯した。 」ナタンはダビデに言った。 「【主】もまた、 あなたの罪を見過ごしてくださった。 あなたは死なない。

■O:今日のコラム
みなさんは人から間違いを指摘された時、どのように振る舞いますか?誰でもなかなか「はい、そのとおりです。」と即座には言えないのではないでしょうか。
ダビデはこの箇所でバテ・シェバの罪を犯してしまいました。ダビデが屋上にいた時、沐浴しているウリヤの妻バテ・シェバが目に入り、彼女を王宮に呼び、彼女と寝てしまうのです。それだけではありません。バテ・シェバが身ごもったことを知ったダビデは戦争の最前線で戦っているウリヤを呼び寄せ、なんとか彼女と関係を持たそうとします。しかし忠誠を尽くすウリヤはそれに応じません。ついにダビデはウリヤを激戦地に送り、味方の軍勢を一気に引いてウリヤだけを残し、敵にウリヤを殺させてしまったのです。そしてバテ・シェバを妻として召し入れました。
この事はダビデの人生の中でも最大の失敗に当たるのではないかと思います。それは次のみことばからもわかります。

「それはダビデが【主】の目にかなうことを行い、 ヘテ人ウリヤのことのほかは、 一生の間、 主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。」(第一列王記15:5)

ダビデは真の礼拝者の中の礼拝者でした。誰よりも主を愛したものです。ダビデは誰よりも主を悲しませることは絶対にさせたくないと思っていたでしょう。しかし、結果的にこのウリヤの罪は主を悲しませることになってしまったのです。
このことから多くのことを学ぶことができます。

(1)ホッとした後に気をつける
ダビデはエルサレムに自分の街を築き、そこで王となりました。サウルに追われている時と比べての安心感はどれほどでしょう。しかし、自分が危機の中にあった時は罪を犯しませんでした。逆に自分がほっとした後に罪を犯してしまったのです。
私たちもダビデから学び、同じことを繰り返さないようにしましょう。

(2)いつまでも罪を持ち続けない
3節には、ダビデはバテ・シェバを見て美しいと思った後、気になって人をやって調べさせたと書かれています。誰でも生きていると誘惑や罪などが、事故のように目や耳に飛び込む事があるでしょう。それはとても魅力的に思えるかも知れません。
しかし、あなたの良心がそれに対して警告音を発するなら、それはすぐに捨て去る必要があります。どんな小さな警告音も聞き逃してはいけません。罪の罠にハマったものはそこから抜け出すことはできないからです。
だから私たちも、目や耳に飛び込んできた何かがあるなら、それを思いめぐらす前に主に全て明け渡していきましょう。これが罪の道に歩まない最高の防衛策だと思います。罪の誘惑に満たされるのでなく、主の愛に満たされていきましょう。

(3)ウリヤの罪を犯さない
ダビデはバテ・シェバが身ごもったことでひたすらに自分の過ちを隠そうとします。そしてついにはウリヤを殺してしまいます。そのやり方は非道極まりないやり方でした。自分の手を血で汚すこと無く、敵に殺させる。これはサタンのやり方です。
私たちも同じようなことをしていないでしょうか。自分の保身のために誰かを槍玉に挙げていないでしょうか。
また、誰かを何かに勧めておきながら、自分は一気にそこからいなくなってしまうという事をしていないでしょうか。例えば宣教師を送り出しておきながらこちらの都合でサポートをやめてしまうというものもそうでしょう。
私たちが自分のことだけを考えるならこのような罪を犯しやすくなります。自分に死に、主が生きて働かれるような歩みをしましょう。

(4)自分の罪を素直に認める
ダビデは一見、王宮の人、街の人にはうまくバテ・シェバの事を隠せたと思っていたかもしれません。しかし、このようなことがそのままにされるはずはありません。預言者ナタンによってこの罪が指摘されたダビデは抵抗することはせず、素直に自分の罪を認めました。この時にできたのが有名な詩篇51篇です。
私たちもダビデがしたように、自分の間違いを神の人から指摘された時は、素直にそれを認め、できるだけ早く悔い改めましょう。

(5)刈取りをする
この一件でダビデとバテシェバの間に出来た子どもは、主に打たれて病気になり、ついには死んでしまいます。ダビデは子どもがまだ生きている間に断食をして引きこもって、一晩中徹夜の祈りをして子どもの回復を祈りました。それほどまで愛していた子どもの命が取られてしまうというのは相当ショックだったでしょう。しかし、ダビデはこの事を受け入れました。
私たちも自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。それは人任せにすることはできないのです。辛くても自分の手で刈取りをしていきましょう。

(6)いつでも礼拝者である
ついに子どもの死が告げられると、ダビデは悲しみに打ちひしがれるのかとおもいきや、起き上がり、身に油を塗り、着物を着替え、主の宮に入り礼拝しました。ダビデは自分の成功や失敗にかかわらず、いつも礼拝者でした。
私たちが最優先することは礼拝です。自分の状況によらず、環境によらず、気分によらず、いつでも主を礼拝する真の礼拝者を目指して御霊に変えられていきましょう。

(7)主は失敗を祝福に変えられる
ダビデは礼拝をし、家に帰り、バテ・シェバを慰めました。その後にダビデとバテ・シェバの間に与えられた子どもがあのソロモンです。
私たちは人なので失敗してしまいます。だからといっていつまでも失敗の中にとどまり続ける必要はありません。そこから立ち上がり、再び主を礼拝し前に進むのです。そうするなら主が道を開いてくださいます。
失敗を恐れるのではなく、失敗したことを悔い改めない事を恐れるということを学んでいきましょう。

■A:考えてみよう
詩篇51篇を3回声に出して読みましょう。
さらに出来る人は1節を3回ずつ音読して、そのみことばに対して主を褒め称えるか、もしくは自分が悔い改めるかという祈りをしてみましょう。
その後、「死んでしまった者は、 罪から解放されているのです。」(ローマ6:7)「私は罪の力から解き放たれました!アーメン!」と3回声に出して宣言しましょう。
みことばを握って祈り、神様の愛だけに満たされていきましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、この一週間の歩みを感謝します。今日でウイークデーが終わります。私が一番ホットする金曜の夜に、私が誘惑に会うことがないよう、お守りください。
そして、みことばを持って悔い改めることの大切さをもっと教えて下さい。
その事を通して、私を真の礼拝者とし、しみも傷もないキリストの花嫁とさせてください。
私の罪と咎を洗い流して下さったイエス・キリストの十字架の血潮を感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

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