■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書25章21章, 23章(詩篇147篇)

★その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

■O:今日のコラム
「よくやった。良い忠実なしもべだ。」

私たちは、この言葉を主から直接言われることを切に願い求め、この地での人の評価を求めず、主の評価だけをひたすらに求めて、歩んで行く者たちです。
私も、この言葉を主から言われたい!と切に望む者のひとりです。
私たちが、主から「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われるためには、「わずかな物に忠実」でなければいけません。

わずかな物、事に忠実ならば、主は多くの物、事を任せてくれるのです。
それは「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実(ルカ16:10)」であるからです。

主が見ているのは、大きい事ではなく、わずかな事、小さい事に忠実であるかどうかです。
私たちが思う大きな事をするときではなく、小さな事をするときこそ主は見ているのです。
人前で行うこと、人からも分かる、認められるような大きな事をするときではなく、主が重要視しているのは、人が見ていなくても、人から分からないことであっても、日々の生活の中でしている小さな事、任されているわずかな物事に忠実であるかどうかです。

日々するべき、任されているほんの小さなこと、また人目につかず小さい事と思ってしまうようなこと、そのような物事にこそ私たちは忠実でなければ、主からの評価を受けることはできません。人からの評価と主の評価は同じとは限らないのです。
主からの評価を受けるには、わずかな物事、小さい事に忠実でなければいけません。
わずかな、小さい事に忠実であるためには、私たちが持っている「小さい事」「大きい事」の考え方を変える必要があります。

私たちはこの世的な価値観で「大きい」ことを重要視し、「小さい」と思うことを軽視してしまいがちですが、主が重要視しておられるのはこの世的な価値観での「大きい」ことではなく、むしろ私たちが「小さい」と思ってしまうことを重要視しておられるからです。

今日の箇所では、主人がしもべに任せた「わずかな物、ほんの少しの事」とは主人の財産であった5タラントと2タラントのことであることが25章に書かれています。
2人のしもべは、それぞれの能力に応じて主人から渡された5タラント、2タラントに忠実であったので、主人からよくやったと褒められたのです。

タラントとは、当時のギリシャ系の通貨と計量の最大単位であり、通貨の場合1タラントは6000デナリに換算されます。当時は1日働いて得る1日分の給料が1デナリでした。
もし、約300デナリを1年間分の給料として考えると、5タラントは100年間分の給料(今の私たちに当てはめて1デナリを約1万円として計算すると、約3億円相当)、そして2タラントは40年間分の給料(約1億2千万円相当)にもなるのです。

タラントは最大単位であったので、当時はタラントの額はあまりにも大きすぎるため、日常生活では使われることはほぼない単位でした。
それほどにまで、主人はとても大きな額の物、とても多くの物をしもべたちに渡して、任せましたが、主人はそれを「わずかな物、ほんの少しの額の物」と考えていたのです。

私たちの主人である主も同じような考えを持っている方です。
主は私たちが思う「小さい」ことを小さなこととは思ってはおられず、私たちが思う「大きい」ことを大きいこととは思ってはおられないのです。

天の御国の価値観しか持たない主は、最も小さい者たちにしたことが最も偉大な主にしたことと思っておられ(マタイ25:40)、身長を50cm伸ばすこと、いのちの時間を延ばすことをとても小さいこととして考えておられ(ルカ12:25-26)、戒めのうち最も小さいものの一つを守り、守るように教える者を偉大な者と考えておられ(マタイ5:19)るのです。
主にとって、私たちが思う「小さい」ことは「大きい」ことであり、私たちが思う「大きい」ことは主にとっては「小さい」ことなのです。

どんなことにも忠実になるためには、御国の価値観とこの世の価値観の大きさの概念は全く違うものであることを常に覚え、自分の持つ大きい、小さいの価値観を取っ払い、主が持っておられる価値観を持つように私たちの考えがシフトされなければいけません。
主に「よくやった。忠実なしもべだ」と言われるためには、小さなことを小さなことと思わず、大きいと思うことだけにフォーカスせずに、どんなことをするときであっても、どんな小さいと思うことでも私たちが主のみことばに従い、任されていることに忠実であるならば、主はその「小さい」ことを偉大な大きいこととして見ておられることを覚えて、小さいと思うことほどに、忠実になっていくことが大切なのです。任されていることが、どんなにわずかであると思ったとしても、少し、わずかだと思うことほどに忠実になることが大切なのです。

忠実というギリシャ語ピストスには、信仰深いという意味もあります。私たちは、日々の生活の中で、小さなことは大きいことであるという信仰、その小さなことを主は見ておられ、評価し、報いてくださるという信仰、小さい事に忠実ならば大きいことを任せてくださるという信仰を持つことが必要です。
マタイ25章では、5タラントを預かり、更に5タラントをもうけたしもべも、2タラントを預かり、もう2タラントもうけたしもべも、主人に言われたこと、また主人からの評価は全く同じでした。
5タラントと2タラントには、大きな差がありますが、主人にとってその大きさは関係ないのです。
私たちの主にとっても、大きさ、小ささ、そして私たちがしていること、任されている働きの多さ、少なさは関係ありません。

主だけの評価を求める私たちは、人と大きさや多さを比べる必要もないのです。
大きい事、小さい事に関係なく、主がそれぞれに語っていること、任していることに「忠実である」かどうかを主はみておられます。
そして、主はいつでも私たちを見ておられ、私たちはいつでも主の御前を歩む者であるので、小さいこと、大きいことに捉われずに、どんなことも偉大な主である神の前でしていることを常に覚え、わずかなこと、小さいことに益々忠実である者になることを切に願い求めます。

■A:考えてみよう
主に任されているわずかな事、物に忠実であるだろうか?小さいことに忠実であるだろうか?
自分の持つ小さい、大きいの価値観、自分が重要視していることは、主の価値観、御国の価値観と同じであるだろうか?
自分が任されていることを、人と比べてしまってはいないだろうか?
小さいと思うことほど大きいことと主は見てくださっている信仰を持てているだろうか?
どんなことをするときも、偉大な主の前でしていることをいつも意識できているだろうか?
主からの評価だけを求め、主に「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われることを切に願い求めるか?
小さいこと、わずかなことにも忠実であるために、主が自分に任せておられるわずかな物、事、そして主が自分に忠実であってほしいと願っている小さい事が何であるかを今朝主に聞きましょう。そのことに忠実になるために具体的に日々実行していくべきことは何か?

■P:祈り
主よ。小さいこと、わずかなことに忠実でなかったことを悔い改めます。あなたに任されていること、日々語られいるみことばを実行すること、人目につかぬ小さいと思うことに忠実になることができるように助けてください。
自分の思う大きいこと、小さいことの価値観や重要視していることがあなたと違うことがあったことを悔い改めます。あなたの価値観、考え、見方を持つことができるように私の思い、考えを変えてください。
どんなときも偉大な神であるあなたの前でありますから、小さいことも偉大で大きいことであることを感謝します。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。」といつかあなたに直接言われることを夢見て、あなたの評価だけを求めて歩み続けます。
今日も小さいことに、わずかなことに忠実になることができるように助けてください。
愛するイエス様の御名でお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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