■S:今日の聖書の言葉
詩篇131篇1〜3節
★主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。
まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。
マタイの福音書10章7、22節
★行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
★また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
■O:今日のコラム
1月27日の朝です。主を待ち望みましょう。イエス様をいつもお待ちしましょう。イエス様にいつも依り頼んでいきましょう。僕らは、絶えず主を待ち望むことに目を向けていきましょう。天の御国が近づいているからです。イエス様が、僕らをあらゆる場所へと遣わそうとされているからです。
天の御国は、主が光を放たれ、主の臨在が満ち溢れている場所です。(黙示録21章〜を参照)主の臨在があるところは、天の御国が近い場所だと言えると思います。天の御国が来ている場所です。イエス様を信じて主に祈る時、歩いていても電車の中でも、バスでも自転車でも、自動車の中でも、バイクでも飛行機でも、トイレでも、職場でも、学校でも、主が共におられます。僕らは、聖霊様の宮だからです。感じても、感じなくてもです。ますます主御自身を求めていきたいです。
イエス様は、12弟子達を遣わすためにマタイの10章を語られました。行く場所、言う事、やること、持ち物、とどまる場所、挨拶の仕方、遣わされる場所の状況、その場所で必ず苦しみや試みがくること、信頼するべきは天のお父さんであること、イエス様に従う者としての心得、イエス様がこられた目的、などです。
僕らと共に主がおられる時に、主を知らない周りの人と本気で付き合おうとする時、批判が満ち溢れます。それは、ある意味、その相手が僕らのことを心配してくれているからです。だからこそ、僕らは、その相手が救われることを祈っていきたいです。だから、最後まで耐え忍びたいのです。僕らがイエス様の十字架と復活、救いを宣言していきましょう。僕らが、ブレてしまうならば、誰がこの塩気を保つことができるでしょうか!?この世に塩気を保つことは、主が僕らに託しているのです。
だから、僕らは、絶えず主を待ち望みましょう。自分の力でやるのではなく、自分の心を誇らせず、自分の目を高ぶらせないようにするのです。自分の力を、及びもつかない大きなことや、奇しいことに、深入りさせないのです。これらのことを、自分の目線では見ないようにするのです。そして、主の目線で、主の力で、解き放っていくのです。
そのために、主の前に、自分のたましいを委ねるのです。たましいを主に捧げるのです。主を待ち望みましょう。耐え忍ぶ信仰を主から受け取りましょう。
■A:考えてみよう
主を待ち望みましょう。天の御国がこの地にくるように祈りましょう。そして、自分の周りに「天の御国が近づいた!」と宣言していきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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