■S:今日の聖書の言葉
詩篇124篇1〜8節
★「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。
「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、
そのとき、彼らは私たちを生きたまま、のみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、
そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。
そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」
ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。
私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。
私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。
マタイの福音書3章12節
★手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
■O:今日のコラム
1月20日の朝です。今日1日も主の救いを宣言していきましょう。「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」と宣言しましょう。主は『箕』を持って僕らをきよめてくださいます。
まず、詩篇124篇を朗読しましょう。僕らの助けは、天地を造られた主の御名にあるのです。名前に力があるのです。主の御名は、この世の全てにまさって偉大です。主の御名はこの世の全ての栄光を受けるのにふさわしいのです。
そして、このお方は、『箕(ミ)』を持っています。箕は、農作業や園芸で使われる道具です。ザルとカゴとバケツを合わせたような使い方ができる持ち運ぶことができる道具で、竹などを丁寧に編み、チリトリに似た形に仕上げたものが箕(み)です。脱穀した米や豆などの穀物を実と殻に選別するための道具として使っています。脱穀した穀物を箕に移し、空中高くあおり上げて軽い殻や屑、未熟な実を風で飛ばし、何度も繰り返すことで、実の詰まった良いものを残すことが出来ます。また、草取りで取った草を溜めたり、収穫物を一時的に溜めたり、剪定した木の枝などを集めたり、畑仕事ではなくてはならない道具です。
イエス様が、箕を持っています。良い実と殻とを分別するためです。僕らの内側にある実になる種と実にならない種とを分けるのです。内側にある実は倉に納められます。いらない殻は、燃やされます。僕らの必要のない草を取り除いてくださいます。僕らの様々な方向にのびた枝を剪定してくださいます。
単純に考えると、天の御国か地獄かですが、それプラスがあると思いました。倉に納められるものは、主を礼拝し賛美するための日常の糧となります。主が味方だからできる一つ一つのことです。主から預けられている賜物です。大水も押し流すことができない主の愛です。天と地を創造された主が味方であるという絶対的な信頼感です。主の御言葉を絶えず口ずさみ、感謝することで生み出される御霊の実です。
燃やされる殻は、僕らの内側にある一つ一つの弱さです。罪です。主に信頼しない心です。僕らがいらないものを捨てることができたことで、さらに信仰が燃え上がるための材料となるものです。いらない殻に心を向けるのではなく、必要な糧(御言葉)に心を尽くすことができます。
イエス様が、僕らの内側を仕分けしてくださいます。天から地に下ってこられたこと、一つ一つのしるし、御言葉、そして、十字架と復活によってです。天に帰られたことで、助け主聖霊様を僕らの内側に住まわせてくださり、聖霊様が僕らの内側を仕分けする助けをしてくれます。聖霊様は、僕らを無理やり何かさせようとはあまりなさいませんが、聖霊様を歓迎し、聖霊様の助けを求め、聖霊様の声を注意深く聴こうとしている者にはハッキリと語ってくださいます。(もしくは、あまりに聞かないので動かれることもありますが…)
主は、箕を持っておられます。今日1日を主に仕分けしていただきましょう。主の救いを感謝します。
■A:考えてみよう
詩篇124篇を朗読し、宣言しましょう。
自分の内側にあるあらゆるいらないものを主に仕分けしていただきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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