■S:今日の聖書の言葉
サムエル記 第一 30章8節 (1サムエル29章)
★ダビデは主に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」
★それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、
(1サムエル28章6節)
★サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」
(1サムエル28章25節)
■O:今日のコラム
ダビデとサウルの生涯は、あらゆる面で対照的でしたが、主からの導きを受けることに関しても同様でした。
今日の場面、ダビデもサウルも窮地に立たされていた、という点では共通しています。
ダビデは戦争に参加するつもりで、勇士達を引き連れて自分たちの町を離れていましたが、留守の間に、その町が襲われ、自分も家来も、妻子や財産を略奪され、町は焼き払われてしまいました。
ただでさえ上司からの嫌がらせの中、綱渡りのようなストレスいっぱいの生活だったのに、経済も家庭も攻撃されるという打撃を受け、その上、部下からもリーダーシップに対する不満と不信が炸裂し、危うく殺されかけるほどの窮地に追い込まれていました。
一方サウルも、長年の敵であるペリシテ人が軍を招集して攻めて来るという状況。やはり、難しい立場でした。
戦場に出て行かなければならないリーダーとして、同じように試練の中にあったダビデとサウル。どうしても、主の導き、助けを必要としていた二人。しかし、主の取り扱いは、鮮やかなほど対照的でした。
ダビデが主に伺った時、主ははっきり答えてくださいました。
サウルは、というと、同じように「主に伺った」のに、「夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった」とあります。
この違いはどこから来ているのでしょうか?
答えは、ダビデとサウルの毎日の生活の中にあった、と思います。
主は、私たちが戦場に行く前に、毎日の生活の中で、私たちと一緒に歩みたい、と願っておられるのです。
困った時だけ助けを求めるのでなく、嬉しい時も、幸せな時も、満ち足りる時も主に感謝し、痛い時も、悲しい時も、孤独な時にも、主を見上げて、主に信頼してほしいと願っておられます。
サウルの手には槍が、ダビデの手には立琴があった、という箇所がサムエル記に出て来ますが、これは、とても象徴的なシーンだと思います。
1サムエル18章10節 …ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
槍は何を表しているでしょう?
琴は?
聖書には、繰り返して、肉によって歩む礼拝者たち(カイン、サウル、律法学者、パリサイ人etc.)と、御霊によって、信仰によって、愛によって歩む礼拝者たち(アベル、ダビデ、イエス様、ステパノetc.)が登場します。
槍や琴は、心の状態の現れですが、どんな木につながっているか、という実であり、行いでもあります。心の中にだれが住んでいるかで、だれが支配しているかで、その実は変わって来ます。
柔和で、忍耐強い方、全能で力強く、聖い方、誠実な方、憐れみ深くいつくしみ深い主、イエス様が、今日も私たちの心の中に豊かに住んでくださいますように。
■A:考えてみよう
私の手には琴があるだろうか?槍があるだろうか?
■P:祈り
今日、どこにいても、何をしていたとしても、私の心に主への信頼と感謝、賛美がありますように。平安と喜び、神様の義が私を支配して下さいますように。今日、御霊に導かれて歩む事ができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
【 ともこ 】
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