■S:今日の聖書の言葉
黙示録12章14節

★しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。

■O:今日のコラム
私達は現在ものすごく忙しい時代に生きています。気がつけば1日はあっという間に過ぎてしまい、世の中には私達の目を奪い、耳を奪い、心を奪うものが満ちています。
 黙示録12章に登場する蛇が口から大水を吐き出して女を押し流そうとしたのと同じように、サタンはこの時代キリストの花嫁なる教会を忙しくさせ御声が聞こえ無い様にし、また様々な批判や噂話、分裂によって疲弊させようと力を尽くしています。
 ここで女は二つの翼が与えられます。同じく花嫁なる教会は祈りという翼と、御言葉という翼を受けて飛び、この蛇の大水から守られる事が出来ます。
 その翼を持ってどこに飛んで行くのかと言うと「荒野」です。ここには、「自分の場所である荒野」と記されていますが、多くの人は荒野に自分の場所を設けたくはありません。もっと華やかで楽しい場所に自分の身を置きたいと願うものです。しかし、キリストの花嫁の為に設けられた主の養いの場所は、華やかなステージでも、誰もが羨む快適な環境でも無く「荒野」なのです。
 荒野とはヘブル語では「ミッダバール」と言います。「ダッバール」は「言葉」という意味があり、「ミツ」は英語で言うと「At」という意味があります。つまり「ミッダバール」とは「言葉がある場所」と訳す事が出来ます。
 荒野に私達は父なる神の声を聞く為に行くのです。そして主の御声を聞く時に私達は命に溢れて生きるのです。
 様々な楽しみや、やるべき事がある中、自分の必要を脇に置き、祈り礼拝し、御言葉を読み黙想する事は、合理的なこの時代においては一見無駄な事の様に思えるでしょう。教会の働きに関わっていても、祈る暇があればもっと伝道しなければ、祈る時間を減らしてもっとミニストリーをしなければ。という思いを持ってしまう事があるものです。
 しかし、この荒野での時間こそ神の御国を味わう為の最も価値のある時です。アブラハムは荒野で主の契約を受け、モーセは荒野で主の戒めを学びました。ダビデは荒野で礼拝者となり、バプテスマのヨハネは荒野で叫ぶ者の声となり主の来られる道を整えました。また主イエスは荒野で悪魔の誘惑に打ち勝ったのです。今日、全てを脇に置き、父なる神の心を求めて、私達の居場所である荒野に進み行きましょう。

■A:考えてみよう
礼拝し、祈り、御言葉を受け取る為に、生活の中にあえてその為の時間を設けよう。

■P:祈り
主よ。私の人生全てはあなたのものです。持てる物も、また私の時間も主の物です。今日、私の時間を捧げて主よ。あなたを求めます。もっとあなたに近づき、あなたの御声を聞きたいです。アバ、天のお父さん。今日新しくあなたの心を教えて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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