■S:今日の聖書の言葉
詩篇97篇7節

★偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。
すべての神々よ。主にひれ伏せ。

詩篇97篇10節

★主を愛する者たちよ。悪を憎め。
主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。

ヨハネの手紙第一 5章21節

★子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。

■O:今日のコラム
ここに「偶像に仕える者」とあります。
皆さんは偶像に仕えておられるでしょうか?イエス・キリストだけが唯一の神であると信じている私たちは、「もちろん偶像に仕えるなんてことはしてません」と思います。はい。もちろんです。
では、神様以上に自分の心を占めているものがある方は、おられるでしょうか?
神様の上に何か(もしくは誰か)を置いてしまう時、それは偶像礼拝です。
また、聖書は何が「偶像礼拝」であるか、を教えてくれています。

第二サムエル記15:23には「そむくことは占いの罪、(主に)従わないことは偶像礼拝の罪だ。」と書かれています。
エペソ5:5「不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者・・これが偶像礼拝者です。・・こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」

また、エゼキエル書14:3には
「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。」とあり、偶像は、人間の心の中に密かに巣食うことを表してします。

私たちは、何か土や金で作った銅像を拝む、などという分かりやすい偶像礼拝はしませんが、神様以外のものに簡単に心を占領させてしまうことを通して、偶像に仕えてしまうのです。
お金、名声、人間関係、人からの評価、趣味、悩みや心配事、ゲーム、ファッション、悪習慣、自分自信…etc
それ自体は悪いモノではないかも知れません。しかしながら、それらが神様よりも優先順位が高くなってしまったり、それらが神様よりも自分の思いや心を支配するようになるのなら、悲しいことにそれは偶像です。
神様のためなら、それがすぐに手放せるかどうか?と自分の心に聞く時に、それが自分にとっての偶像かどうかが分かるかも知れません。

それらの偶像を手放すこと、それらを神様の下に置き換えるには痛みが伴うこともあるかも知れません。
しかし、聖書には偶像を「姦淫」と比喩されていて、実際、それらの偶像は、花婿イエスに対して、姦淫(現代的に表現するなら浮気…?)、不誠実なことなのです。
花婿に誠実を尽くしたいと願うならば、どんなに葛藤があったとしても、なんとしてでも、それらの偶像を捨てなければなりません。

何年も前、私はあるテレビドラマが大好きで、毎週欠かさず観ていました。タチの悪いことに、それはシリーズ化して、何年にも何ヶ月にも及びました。なんとなく、癖になりそうに面白い番組だと感じていたので、このシリーズが早く終わってくれれば解放されるのに…と内心感じてはいました。
ある日教会で祈り、帰宅し、その番組を録画していたものを観ようとした時に、その番組が私の中で「偶像」となっていることに神様が気付かせて下さいました。いや、気付かせられてしまいました。
「このシリーズが終わるまで…」と思っていたズルい私に、聖霊様が「今」と働きかけて下さいました。
神様が下さった聖霊様が、私の内で確実に悲しんでおられることを感じて、私は苦しくなりました。

その時はまだメディア断食の話もなかった頃でしたが、明らかにこれが自分を神様から遠ざけてしまうものだということを感じました。
聖霊様が欲しいか、それともこの楽しみが欲しいのか。今、思えばくだらないモノでしたが、その時の私にとっては、強い決断が必要でした。
けれども、やはり命が欲しい、神様が欲しい、そう思い、その日からその番組を観ることを辞め、録画も全て消しました。
すぐに楽になったと格好つけて言いたいトコロですが、最初はもちろん葛藤や誘惑がありました。
その誘惑が来るたびに主のもとに走って行きました。
けれども真実なるお方は、私の心の内の葛藤といけにえを喜んで下さり、何にもまさる「聖霊様との親しい交わり」という最上のご褒美で報いて下さいました。
もう聖霊様を悲しませるようなことは、何もしたくない!という思い、そのようなことは、すべて命掛けで避けて生きたい!という願いを心に下さいました。

長くなりました、すみません。
私はあの日、聖霊に満たされて帰ってきて、その「偶像」が私の内におられる聖霊様と共存出来るモノでないことを強く感じたのです。
神の宮に、その「偶像」を招くことに強い嫌悪感を覚えたのです。

聖霊様に満たされることを選びとっていきましょう。
神のことば、神ご自身である御言葉に浸り、個人的な礼拝の時間を持つことで聖霊様は、私たちの内に溢れて下さいます。
そうする時に、何か、歯を食いしばりながら、憤りを感じながら、痩せ我慢や見栄で偶像を捨てるのではなく、優しい聖霊の促しで自分の偶像を喜んで捨てる決断をすることが出来るでしょう。

私たちが今日、花婿イエスに誠実を尽くすことが出来ますように。

■A:考えてみよう
すぐに手放すことに抵抗を感じるモノが私の心に、私の生活のなかに、私の人生のなかにあるだろうか?
本当は聖霊様を悲しませているんだろうと、薄々感じていることはあるだろうか…?

■P:祈り
誠実で、忠実で、真実なる花婿イエス様、あなたを傷もしみもない者としてお迎えしたいです。
あなたの王座を奪うものが私の内にあるなら、それらを捨て去ることが出来るよう、私を助けて下さい。
たとえ痛みが伴っても、それにまさるモノが用意されていることを知っています。私が命を選ぶことが出来ますように、聖霊様、力を与えて助けて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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