■S:今日の聖書の言葉
詩篇87篇1,2節
★主は聖なる山に基を置かれる。
主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される 。
ペテロの手紙第一4章12〜14節
★愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは 、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
■O:今日のコラム
11月25日の朝です。今日1日も主の十字架を基礎として行きましょう。イエス様が、僕らの全ての基礎であり、全ての門だからです。ここに栄光があります。
僕らの日々の生活の中で、イエス様を主として認める時に発生する誘惑や苦しみが起こる時、僕らはますます主を賛美していきましょう。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、僕らの上にとどまってくださる証拠だからです。サタンは、人間が聖霊様と交わりをもつことを阻止したいからです。
また、僕らが次のステップに行くために、主御自身が試みる時があります。(誘惑などではありません。ヤコブ1章13節〜)
僕らが、自分の力や方法ではなく、神様を必死に求め、神様の心と一つになることを、主が求めているのです。(ローマ5章3〜5節、ヘブル12章5〜7節、ヤコブ1章2〜4節等々)
それは、僕らが、どんな時にも、主を見上げ、主に賛美し、喜びおどる者となるためです。特に、イエス様が戻ってこられる時、イエス様の十字架と復活による勝利の栄光が現される時にです。
だから、主は聖なる山に基礎を置かれます。主への礼拝がされ続ける場所に、イエス様という基礎が置かれなければならないのです。イエス様が、僕らの中心になる必要があるのです。イエス様が、教会の中心です。イエス様の十字架と復活が、僕らの中心です。
そして、イエス様は、天の御国の門です。(ヨハネの福音書10章7節、黙示録3章8節)イエス様を通してでなければ、門を開き、門を通ることができません。僕らは、イエス様によってヤコブ(盗む者、割り込む者、押しのける)ではなく、神様の王子として門を通ることができるのです。
今日1日も、イエス様を見上げ、イエス様の愛を受け取って、イエス様を賛美し、イエス様に栄光があるように祈っていきましょう。
■A:考えてみよう
イエス様を自分の中心にお迎えしましょう。イエス様が、僕らの中心ならば、今日何ができますか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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