■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書12章24節 (詩篇76篇)
★まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
■O:今日のコラム
この一粒の麦の話しから私達は数々の重要な真理を学ぶ事が出来ます。宣教の歴史においてはどの国々においても命をかけて福音を宣べ伝え、殉教にまで至った宣教師達がおり、その命を捧げた一粒の麦の存在によって後に豊かなリバイバルがもたらされるのです。
この御言葉を握った人々の人生を通して、数多くの麗しい証しがあるものですが、しかし今日、特に注目したい一つの事は、「父となる」事を通して私達が一粒の麦の役割を果たすと言う事です。
実際的に自分の子供が産まれ父となり、初めに学んで行く事は、様々な自分自身の事を放棄しなければならない。と言う事です。
時間の使い方や寝るタイミング、食べたいものや様々な活動も、子供に合わせてやらなければならない事が多々あります。時には泣き続ける子供を一晩中抱き自分の眠りを捧げなければならない事や、また時には子供が汚した様々なものを片付けなければならない事もあります。
親になり一つ一つ、自分を放棄する事や忍耐を持って愛する事、そして子供が健全に育つのを喜びとする事等を学んで行きます。
現在、主は霊的な父となる人々を探し求めておられます。これには男女の区別はありません。男性でも皆がキリストの花嫁となる事を召されているのと同様に、女性も皆が父となる事、つまり父なる神の心を受けた者となる事へと召されているのです。
私達は自分がリーダーとなり、人々が自分のビジョンの為に忠実に仕え、自分のミニストリーが成功する事を求めるでしょうか?
それとも、私達は父となり、人々が主にあって私達を足台として大きく成長し、私達の頭の位置が次の世代の足の位置となり、子供達が私達以上に活躍し、主の御心を成し遂げて行く事を願うでしょうか?
この二つには大きな差があります。私は父となりたい。父なる神が一歩一歩この父としての道へと導いて下さいます様に求め続けます。
■A:考えてみよう
今日、仕えられる為ではなく、仕える為に。誰かが自分の為に祈ってくれるのを待つのでは無く、まず自分が人々の魂を抱いて祈る為に。一つ一つ自分の権利を放棄し、一粒の麦となる道へと進みましょう。
■P:祈り
天のお父さん。あなたの心をもっと知り、そして私もあなたと同じ心を持った者となりたいです。主の元に走り行きます。お父さんの御腕で私を抱きしめて下さい。あなたの愛の中で、私も一歩一歩、父となる道を歩む事が出来ます様に。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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