■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書4章24節(詩篇68篇)

★「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

■O:今日のコラム
イエス様は「御父は霊とまことによって礼拝する、真の礼拝者を求めておられます」と、この箇所で語られました。
真の礼拝者が捧げる礼拝、真の礼拝者の歩みを通して、主の栄光がこの地に現されていきます。
ですからサタンは、「宗教の霊」となって、教会の中に働き、真の礼拝が捧げられることを妨げます。
どのようにして、礼拝が「宗教」となってしまうのでしょうか?それは「伝統」または「繰り返し」です。

ヨハネ4章には、いくつかの「伝統」が出てきます。
当時、ユダヤ人サマリヤ人との交流を持っていませんでした。また、男性が、身分が低いとされていた女性に話しかけることはしませんでした。

ユダヤ人たちはエルサレムで礼拝するのがしきたり、またサマリヤ人はエルサレムに上ることをせず、自分たちで建てた神殿のあるゲリジム山で礼拝するのがしきたりでした。

イエス様はサマリヤ人の、しかも女性に話しかけることで、伝統を破りました。
また、礼拝をささげるのはユダヤ人にとってはエルサレム、サマリヤ人にとっては、ゲリジム山が伝統の礼拝の場所となっていましたが、主は「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」(21節)と言われました。

礼拝が「毎回必ずこの順番でなければならない」「こうでなければ主が働かれない」「こうやっておけば、とりあえず恵まれる」「こうすれば霊的に見える」…etcこのような思いによって、礼拝は「宗教」へと成り下がってしまうのです。
もちろん、秩序は大切です。私たちの主は秩序の神様です。
無計画に進み、何が起こるか分からない、行き当たりバッタリなのが霊的なわけでもありません。人々への配慮もとても大切です。

けれど、私たちは絶えず「この礼拝を主が喜ばれておられるだろうか?私たちは主により頼んでいるだろうか?」と問いながら、礼拝を捧げなければなりません。
私たちは、時として、この「宗教の霊」という惑わしから逃れるべく、慣れ親しんだ状態、心地の良い安全地帯から、不慣れな新しい地へ大胆に前進しなくてはならないこともあるでしょう。アーメン!

しかし、今日、ここで更に注目したいのは、イエス様の愛と御霊の力、です。
ユダヤ人がサマリヤ人に。男性が女性に話しかける、という伝統破りのひとこと目は「わたしに水を飲ませて下さい。」でした。
イエス様は「私こそメシヤだ。」と派手に登場しても良かったはずです。だってホンモノですから。
でも、イエス様はユダヤ人男性からは、さげすまれる立場にあるサマリヤ人の女性に、「水を下さい。」と低い者のように話しかけたのです。

また、イエス様は御霊の力により、サマリヤ人の女の過去を見抜き、そのことによって彼女の心を動かしました。
「伝統」を変えていくには、イエス様のような愛と、御霊の力が必要です。

「伝統」や「繰り返し」によって礼拝が「宗教」になることを避けなければなりませんし、常に礼拝の純度を保つことがとても大切です。
そのために、私たちはいつも御霊の力と油注ぎを受け、また、イエス様のようにへりくだり、イエス様のような愛をもって互いに仕え、教会を建てあげていきたいです。

霊とまことによって礼拝する。100%御霊に導かれ、混じり気の無い真心からの捧げる礼拝、天の御父はそのような礼拝をささげる、真の礼拝者を求めておられます。

■A:考えてみよう
私の歩みは、礼拝者としての歩みだろうか?
私が礼拝する時、私の心には主に喜ばれない思いで満ちていないだろうか?
私が礼拝捧げる時、「宗教の霊」がのさばっていないだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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