■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙11章1節
★信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
■O:今日のコラム
ヘブル人への手紙11章は信仰の章であり、この章を読む時、私達の内に信仰の炎が灯される事となります。
1節には「信仰は望んでいる事がらを保証し」とありますが、これは別訳では「信仰は望んでいる事がらの実体である。」と記されています。この世の全ての見える物は、見えないものから出来上がります。
家が出来る為には家の建築家がおり、服が出来る為には服のデザイナーがいます。また絵画も音楽も全て人の内にある感性や創造性からこの世に実際的な形として生み出されて行くものです。
私達の人生にも主の計画が生み出されて行く為には信仰の告白が無くてはなりません。願っても祈っても無いのに偶然には物事は起こらないものです。
しかし時々、信仰の用い方に少しズレを感じる説明を聞く事があります。例えば「欲しければ願いなさい。あなたがお金持ちになりたいなら。毎日『私は大金を得る。私は大金を得る。』と告白し続けなさいそうすればその信仰の告白の通りになります。」と言う感じの信仰の用い方です。
もちろん願いを告白する事は悪い事ではありません。否定的な事を口にするより肯定的な事を口にする方が良いものです。しかし、自分の願望や欲望を繰り返し告白する事はマタイ6章で主イエスが「異邦人の祈り」であり、「その様な祈り方をしてはならない。」と言われています。
そして、その自分勝手な告白の代わりに神の国を求める祈りを主は教えて下さっています。そうです。信仰とは私達の物事を信じる強さが重要なのではなく、どこに置くか?という事が最重要なのです。
新約聖書の中で「信仰」という言葉が用いられる時、必ずその前置詞として「〜の上に」という言葉が付いています。つまり信仰とは、自分の信念の上に置くのではなく、神の御言葉の上に置く必要があるのです。
私達が日夜この神の御言葉を口ずさみ、主の言葉に信仰を置く時、その信仰の告白は確かにこの地に変化をもたらすものとなります。
■A:考えてみよう
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネの福音書1:1)この言葉は「ロゴス」であり、別の訳には「道、デザイン、計画、型、理想」などの意味があります。主はこの真理の言葉によって天と地の全てを創造されました。その驚くべき神の御言葉が今、私達に与えられえている事を感謝し。主の御言葉を愛し、これを日々口ずさみましょう。
■P:祈り
主よ。あなたの言葉を愛します。日々、私の口をあなたの御言葉で満たして下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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