■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙3章1節(イザヤ書53章)
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「そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」
■O:今日のコラム
この箇所にあるように、「大祭司であるイエス様のことを考える」とはどういうことなのでしょうか…
12章2節では「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と、あります。
イエス様のことを考え、イエス様から目を離さない。それは文字通り、イエス様の事だけに集中することです。
祈る時、私たちの思いは簡単にあちらこちらにそれてしまいます。隣の人の異言が気になる、音楽がうるさい、電話がなった、今何時だろうか、ちょっとエアコンが効きすぎている、LINEのメッセージが入ったのが見えた…etc
集中することは、日々繰り返していくことで、培われていきます。
週に一回だけだと、深みに入るのに何分も何十分もかかったものが、毎日毎日深みに入っていると、そのウォーミングアップのような時間が、短くなっていきます。
久しぶりに会う人とは、会話を本格的に楽しむまでにアイスブレイクの時間が必要ですが、毎日会っている人とは、すぐに会話が弾むものです。
先日、聖会の中でハイディ・ベイカーが祈りを導く時間の時に「どうぞイエス様に思いを集中して下さい。イエス様以外のこと、イエス様との関係を邪魔する一切のものを取り除けるように努力して下さい。もっと深みへと。もっと深みへと。」と祈り続けました。とても、温かい素敵な時間でした。この深い臨在の時に、主に集中するということが、とても大切なのだと思わされました。
いつも祈る時に、私たちの心の中にある苦みや怒り、その他、主との関係に必要でない考え、仕事のことや、様々な心配事からまず自分の思いを切り離して、主だけを思うこと。
何気なしに祈るのではなく、集中して祈ることを心がけましょう。
私自身、油注がれた者になる以上に(もちろんそのことも切望しますが…)聖霊様と親しい者でいたいと願います。
主の心を知る者、主が喜んで語りかけて下さる者、主と顔と顔を合わせて語らうことを楽しむ者…
そのために、私たちが払わなくてはいけない犠牲、それは自分自身を聖く保つこと、自分の楽しみ以上に、主が喜ばれる道を常に選ぶことです。
本当に愛して愛してやまない人と会うためなら、何時間の道のりをかけてでも会いに行きたいとは思いませんか?
それがたとえ、たった1時間しか一緒に居られなかったとしても、大好きな人との時間が愛に溢れていたら、そのためにかけた数時間の道のりも苦ではないでしょう。
同じように、犠牲を払って、主との親しい交わりに入る時、そこにあまりにも喜びがあるために、そのために払った犠牲を、犠牲とすら思わなくなるでしょう。
イエス様の愛をたくさん受け取りましょう。「主との親密な関係」と聞いてもイマイチ心が弾まない場合は、もっと主の愛を教えて下さいと願い求めていきましょう。
主との親しい交わりを妨げる一切のものを忌み嫌い、取り除き、イエス様だけを見つめること。
それが、主が私たちに与えて下さった最高の時間の過ごし方です。
■A:考えてみよう
自分を主から遠ざけているものはなんだろう。
今日、私と主との間に隔たりとなるものはないだろうか。
私の歩み、私の思い、私の口の言葉は、イエス様に喜ばれるものだろうか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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