■S:今日の聖書の言葉
テトス3章5〜6節(イザヤ49章)

★神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

■O:今日のコラム
何年か前のことになりますが、朝の二時間を神様に祈る時間としたい!という思いから早天に行くようになりました。

しかし、仕事が前日夜遅かったり、寒すぎて布団からでられなったり、、、情けない理由もたくさんあって、二時間祈れていないことが多くありました。

祈れた日と祈れなかった日で、それぞれ自分で勝手に自分のことを評価し、苦しなっていたときに「こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。(マタイ15:6)」とみことばが与えられ、ハッと我に帰りました。

当時は、「パンを食べるとき手を洗うこと」が儀式的に必要とされていて、もし手を洗わらなかったら神から離れている、しまいには手を洗うことが自分の救いを達成するために必要不可欠であるように伝えられていました。

彼らと同じく、私の中に救われるためになにかプラスしたい、プラスしなきゃいけないのではないか、という思いがあることに気付かされました。

確かに祈ること、捧げること、奉仕すること、いろんなことは全て有益だと思います。しかし、私たちの贖いは既に十字架で「完了した」ものであることが聖書にハッキリと書いてあります。

その圧倒的な十字架の愛ゆえに、一つ一つの行いが義務でなく喜びである者に変えられていきたいと願います。

■A:考えてみよう
自分の行いにフォーカスするとき、人と比較することが容易になります。テトス3:9には「しかし、愚かな議論、系図、口論、律法についての論争を避けなさい。それらは無益で、むだなものです。」とあります。私たちが、ただ十字架に焦点をあて、その恵みとあわれみゆえにこういった論争を避け、十字架によって一致することが出来ることを祈ります。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れな 】

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