■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙 第一 3章2節(イザヤ書39章)
★ ですから、 監督はこういう人でなければなりません。

■O:今日のコラム

皆さんはスポーツ観戦は好きですか?サッカー、野球、バスケットボール、アメリカンフットボールなど、特にチームプレーのスポーツは見ていても、とてもエキサイティングです。そこではトレーニングされたプロフェッショナルの選手通しの高いレベルの戦いと共に、彼らをまとめあげる監督の采配も大きく試合を左右します。今日は、監督のことについて、聖書から学んでみたいと思います。

監督は扇の要のような存在です。いくら素晴らしいメンバーがいたとしても、肝心の要が弱ければ崩壊してしまいます。聖書は監督になる人の資質はどうであると言っているのでしょうか。

「ですから、 監督はこういう人でなければなりません。 すなわち、 非難されるところがなく、 ひとりの妻の夫であり、 自分を制し、 慎み深く、 品位があり、 よくもてなし、 教える能力があり、酒飲みでなく、 暴力をふるわず、 温和で、 争わず、 金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、 十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。--自分自身の家庭を治めることを知らない人が、 どうして神の教会の世話をすることができるでしょう-- 」(2-5節)

ここに書かれていることをひとつひとつ丁寧に説明する必要はないでしょう。書かれているそのままの人が監督の資質です。わかりにくいのであれば、その逆を考えてみるとわかりやすいかもしれません。「いつも人から避難され、たくさんの女性と関係を持ち、自分勝手で、遠慮がなく、下品であり、全く人のことを顧みず、人を教えても何を言ってるのかさっぱりわからず、大酒飲みで、暴力をいつもふるい、怒りっぽく、争い好きで、お金のことしか考えず、自分の家庭をなすがままにして、子どもにへつらい好き勝手にさせている人です。」こんな人に従いたいと思うでしょうか?私は遠慮しておきます。

社会において、自分が管理職などの立場に立っているのであれば、前者のような監督を目指しましょう。そうすると、部下は喜んであなたに協力してくれるようになり、最高のチームになることができると思います。では、どうすればこのような監督になれるのでしょうか。このみことばを宣言するのです。何度も何度も、毎朝仕事が始まる前に最低4回は声に出して宣言して、「主よ、私を今日、このような監督に変えて下さい。人々に仕えるリーダーとさせて下さい。」と祈りましょう。

また、皆さんが監督の下にあるのであれば、監督がこのような人になることができるよう、とりなし祈りましょう。もし、あなたの監督が後者のように悪い監督であると感じるなら、実は問題はその監督ではなく、あなた自身にあります。まず自分の目の中の梁(はり)を取り除いてから、人の目の中のちりを取り除きましょう。人を批判したくなった時に私たちが取る態度はそれを口にだすのではなく、すぐさまに自分自身が悔い改め、とりなすのです。

例えば、「主よ、あの監督は自分勝手でなりません。しかし主よ、まず私が悔い改めます。あの監督をさばいてしまう私を許してください。そして、あなたの視点でその人を見ることができるよう私を造りかえて下さい。あの監督の弱さである、自分かってな部分に主が触れて下さり、助けて下さいますように。イエス様のお名前で。アーメン。」というように。

残念ながら、人を変えることはかなり難しいことです。もっと簡単な方法は自分が変わることです。主によって変えられることです。私たちは主に愛され、天にある全てのものを受けつぐ資格を得たものです。であれば、その特権を充分に用いて、良い監督を目指し、また、監督のためにとりなすものとなりましょう。
また、このようにも書いています。「また、 信者になったばかりの人であってはいけません。 高慢になって、 悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。また、 教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。 そしりを受け、 悪魔のわなに陥らないためです。」(6-7節)

監督の資質として、経験というものも必要だということです。上のような良い資質を持って長い間仕える者は、自分の仕えている範囲を超えていい影響を及ぼしていくでしょう。もし、その監督の影響が内にのみでとどまっているなら、その監督はもう一歩ということになります。本当に素晴らしい監督は自分が仕えている時だけいい監督なのではなく、むしろ自分が仕えていないところで良い監督として振舞っている人でしょう。つまり、良い資質がその人の生き方そのものに鳴っているので、頑張って良い監督を演じなくても、自然に良い監督になっていくのです。

私たちにとっての最高の良い監督とは誰でしょうか。そうです、イエス様です。「あなたがたは、 羊のようにさまよっていましたが、 今は、 自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(1ペテロ2:25)イエス様は良い羊飼いです。天でも地でも一切の権威を持っている主の主、永遠の大祭司なるお方です。そのような王の王であるお方が誰よりも仕える姿を取り、死にまで従い十字架にかかって下さり、力強く死を打ち破りよみがえられました。私たちはキリストの弟子であるなら、師匠の足あとに従う必要があります。

私たちが良い監督になるために必要なこと。それは主イエスを見つめ続けるということです。はとのように、ただ主だけ一点を見つめて歩む時、私たちは主に似たものと変えられていくでしょう。私たちは王家の血筋を引く祭司として呼ばれています。であれば、それぞれが置かれている場所で私たちすべての者は良き監督としてその場を治めなければなりません。これは来るべき日に備えた訓練です。主が戻って来られた後は私たちは王としてこの地を治めるようになります。だから、今からその訓練と経験を沢山つんでおきましょう。

■A:考えてみよう

私たちが来るべき日に王となるために、今からできる訓練はなんだろう?毎日の生活を今までと歩んでいていいだろうか?同じような生活の中にもたくさんの主の奇跡があり、またたくさんの祈りの必要があるはずです。そのことに気づく信仰の目が開かれていきますように。そして、みことばに従順して栄光から栄光へと主の似姿に変えられていきますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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