■S:今日の聖書の言葉

詩編127編2節、マタイ6章31、32a、33節

★ 詩127:2 「暮らしを支えるために朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いたとしても、それが何になるでしょう。神様は、愛する者に適当な休息を与えられます。」

★ マタイ6章31、32a、33節 「ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。ほんとうの神を信じない人のまねをしてはいけません。神を第一とし、神が望まれる通りの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」(リビングバイブル訳)

■O:今日のコラム

神様はゴリラみたい、と思いました。それは、生活の心配をしないなら、何をするの?!と一瞬生きがいを見失いそうになった私がいたからそう思ったのかもしれません。あっ、神様は、動物で言うなら、私と一緒に戯れたいんだ。

ゴリラが狩りや食事をする以外にも、『遊び』をする稀な動物なように、神様は、私たちにも、休息を与えて、休みなさい、遊びなさい、私と共にいなさい、と言われている、と思いました。

じっとしていると怠けている、と思われがちな日本ですが…

現に、私の祖母もその気があり、ソファーで足を延ばして横になったばかりの孫に、「ちょっと、そんなところで寝てないで、何かしなさい!働きなさい!」 と、はたきでも振り回すように、手をパタパタさせていました。別に何を言い付けるでもなしに。

先週祈り会に参加していたら、神さまからの語りかけを受けました。腕を伸ばしたくなったので、両腕を広げた格好で、祈っていました。すると、『あなたはテクテク歩かなくても良いんだよ。私の翼に乗って、天高く羽ばたけるんだよ。』と。嬉しくて、「はい、主よ!ありがとう♪」と応答してました。

実際にはどういうこと?適用は?と焦って思いがちですが、一先ず今日分かち合ったのは、神の子どもみんなに語っておられることばだと信じるからです。

勿論、仕事に着かなくてプラプラして良いよ、と神さまは言っているのではありません。でも、仕事が人生の中心ではないんだよ、と語っておられると思います。

先日慎悟先生のメッセージで、主の祈りのについて、教えられました。

イスラエルの文化では、一番大切なところを、真ん中に持ってくるそうです。
そして、主の祈りの真ん中にこそ、「わたしたちに必要な日々の食物を、今日もお与えください」とあります。

それは、パンやご飯などの食物のことも言っていますが、霊の食べ物である、イエスさま(天から下った誠のパン、生けるパン)との生きた、親密な関係のことを暗示しています。

神を第一とすること、そうする時、全てのモノが備えられるのです。
まだ見なくても、備えられるという安心が、主の愛から流れ出るのです。

■A:考えてみよう

今日もし、神さまが遠く感じるなら、また世の思い煩いが先行していると感じるなら、イエスさまを心の中心に再びお招きしましょう。

イエスさまこそ、私たちの生きる目的であり、本当に満足を与えてくださるお方です!そして、イエスさまと遊びましょう!!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れいこ 】

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