■S:今日の聖書の言葉
コロサイ人への手紙 1章 28節-29節(イザヤ25章)
★ですから、私たちはどこへ行っても、耳を傾けるすべての人にキリスト様のことを話し、できるかぎり手を尽くして、警告を与えたり教えたりしています。 そして、キリスト様が成し遂げてくださったことのゆえに、彼ら一人一人を、完全な者として神様の前に立たせることができるよう、願っています。 これが私の務めです。 キリスト様が私のうちに力強く働いてくださるからこそ、この務めを果たせるのです。(リビングバイブル訳)

■O:今日のコラム
最近、教会では、「街に出ていって、人々に声をかけ、祝福や癒しのために祈り、また福音を伝える」というチャレンジを受けています。
人に話しかけることに関しては、得意不得意、勇気の大小などがあるかも知れませんが、あからさまに拒絶されたり、かえって罵倒されたりすることは、得手不得手に関わらず、誰にとっても楽しいことではありません。
それにもまして、自分は勇気がなくて、なかなか大胆になれない葛藤を覚えることもしばしばです。

どのようにしたら、上記のパウロのように大胆に、力強く、福音を、キリストをのべ伝えることが出来るのでしょうか。
パウロはその秘訣を教えてくれています。「キリスト様が私のうちに力強く働いてくださるからこそ、この務めを果たせるのです。」と。

キリストがうちに力強く働くためには、キリストが私たちのうちに力強く住まわって下さる必要があります。
聖書には「ことばは神である」とあります。つまり、私たちが主のおしえを喜んで、絶えず口ずさむ時(詩篇1篇)、そして御言葉の中の真理が私たちの中に生きる時、主イエス・キリストが私たちの中に力強く息づいて下さり、うちに住むキリストのゆえに、私たちは大胆に主に与えられた務め(キリストを伝えること)を果たすことが出来るのです。
御言葉をただの書物のように読むと、自分の勝手な解釈が入り込んでしまいます。御言葉を読む時は必ず、御霊により頼みながら読んでいきましょう。

先日「祭司の祈り」という学びがありました。御言葉を一節、声に出して読み、そこから、悔い改めることが示されたら、悔い改め、感謝すること、賛美することが与えられたら、感謝し、賛美し、また宣言する。そして、また次の一節を読み、悔い改め、または感謝を…etc
これを聖霊様の助けの中でやっていくうちに、御言葉を通して、キリストが自分のうちに生き、また自分自身の内なる人が強められ、建て上げられていくことを感じました。

祈りは、主との親密さに欠かせないものであると同時に、私たちが置かれている場所、遣わされている所(家庭、学校、職場、教会)で、霊的に支配している強い者(サタン)を打ち負かす戦略でもあります。やられっぱなしの戦いではなく、勝利に次ぐ勝利となるのです。そして、御言葉こそはまさに、敵の急所をつくことの出来る剣です。御言葉を宣言することは、守りの信仰から、攻めの信仰への移行です。

今日も、神ご自身である御言葉を、威厳と力に満ちた御言葉を、暗やみを照らす光である神の言葉を、宣言し、御霊によって、祈りましょう。

■A:考えてみよう
御言葉を実際に声に出し、宣言していこう。この世がなんと言おうとも、自分自身の魂が何と言おうとも、またサタンがなんと囁こうとも、御言葉が何と言っているかを、この地に、自分の魂に、そしてサタンに聞かせてやりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【みちる】

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