■S:今日の聖書の言葉

ルカによる福音書20章47節(イザヤ書20章)

★ また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

■O:今日のコラム

この箇所は別訳で見ると、「見せかけの長い祈りをする。」と書かれています。
見せかけでも長い間祈ることは忍耐も必要だし、祈らないより全然マシだよなぁ。と思いますが、

人はうわべを見るが、主は心を見る。(サムエル記 第一 16章7節)です。
主は心を見るお方です。動機が何であるかを問うお方です。

私たちはなぜ祈るのでしょうか? なんで24時間眠りを捧げてまで祈り続けるんでしょうか?

それは、花婿なるイエス様を愛しているからです。私たちを命をかけて愛してくれたイエス様と共に時間を過ごしたいからです。

ここで言われている律法学者たちのように人からの評価、長時間祈っていてすごいね~!と言われるためでは決してありません。

SHOPに長時間いると、なんで祈ってるんだ? とふと思う時があります。
でも毎回ここに帰って来ます。

イエス様を愛しているから、最も愛する方と共に時間を過ごしたいから祈るんだと。
私の住まいは主の臨在であり、主の臨在に全ての解決があります。

私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。(詩篇27篇4節)

気が狂いそうな程忙しくても、どれだけ落ち込んでも、人間関係上手くいかなくても、目の前の現状が良くても悪くても、主の御前に進み行き、主の御顔を拝する時、新しい力、答え、主にある喜びを得ます。

よくメッセージの中で共に時間を過ごすものに似て行くという例えを聞きますが、主と共に時間を過ごすのであれば主の似姿に変えられていく、栄光から栄光へとつくり変えられると信じます。

ここで言われている律法学者たちのように人によく見られたいから、何か評価されたいから長く祈るのではなく、純粋に花婿イエスを愛するから共に時間を過ごしたいと願います。

■A:考えてみよう

私たちが祈る時、人に評価されたいから祈る、人に言われたから仕方なく祈るではなく、花婿イエスを愛するから祈る、もーっと主よあなたと共にいたい、あなたを知りたい、味わいたい!その飢え乾きが起こりますように!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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