■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書18章1節
★いつでも祈るべきであり、 失望してはならないことを教えるために、 イエスは彼らにたとえを話された。

■O:今日のコラム
皆さんは、何かに失望したことがありますか?失望はなぜ起こるのでしょうか。それは、結果が自分の期待したものを下回ってしまった時に生じるものです。今日は、ルカの18章全体から失望しない祈りの7つのステップを見て行きたいと思います。できたら、聖書を脇に置き、該当する箇所を読みながらこの記事を読んでいたけるとより理解が深まると思います。

今日の聖書の箇所の冒頭で、イエス様は失望してはならないことを教えるためにたとえを話されました。何に対して失望してはならないと言われたかというと「祈り」です。つまり、この箇所を紐解くと、私たちは祈りに対して失望すること無く、核心を持って祈ることができるようになるのです。

(1)いつまで祈ればいいか(8節)
マラソンは42.195kmというとても長い距離を走りますが、彼らはゴールがあるからその距離を走り切ることが出来ます。たとえマラソンランナーでも、ゴール無く果てしなく走ることは出来ないでしょう。祈りにおいても、イエス様はゴールを見せてくださっています。私たちはいつまで祈り続けなければならないのでしょか。その答えは8節の後半に書かれています。

「…しかし、 人の子が来たとき、 はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

私たちは、イエス様がこの地に戻ってこられるまで祈り続ける必要があります。これが私たちの祈りのゴールです。走るべき道のりは見えました。それでは、そこを目指して全力で走って行きましょう。

(2)祈りの態度(2〜8節)
イエス様は最初のたとえで、しつこいやもめが裁判官に訴え続けることを話されます。このことはすべての人に対して語られたことです。イエス様はここで、祈りにおいては「しつこく」求め続けることが大切だと教えられています。私たちは祈る時に、変な遠慮をしていないでしょうか。「神様に対してこんな事を願い祈るのは申し訳ない」と考えてしまうかもしれません。神様は私たちの天のお父さんです。お父さんは優しく寛大です。私たちのすべてをご存知です。だから、何でも大胆にしつこく求め続ければその願いを聞いてくださいます。おもちゃ売り場で「あれがほしい!」と駄々をこねる子どものように、神に素直な気持ちで求め続けましょう。

注意しなければならないのは、このしつこさを人に向けて行ってはならないということです。人に対しては寛大に、神に対してはしつこく。祈りにおいてはその姿勢が大切なようです。

(3)何を見て祈るか(10〜13節)
つぎのたとえは、自分は正しいと思っている人に対してイエス様は語られています。自分は正しいと思っている人とは、いつも立派に祈っている人でしょうか。ここで言う正しい人はそうではなく、「自分のほうが神様よりも正しい」と思っている人です。具体的に言うなら、自分の置かれている領域に神の介入を認めない人、もっと言うと、「礼拝では主を求めるが、仕事の時は神様、ちょっとあっちに言ってて下さい」という態度を持っている人に対してです。

このたとえでは、正し(くみえる)パリサイ人と、取税人が出てきます。パリサイ人は人の目には正しかったでしょうが、神様の目から見ると正しくありませんでした。なぜでしょうか。それは常に人と自分を比較していたからです。私たちは人と比較する必要はありません。神様は私たち一人一人を特別な存在として唯一無二に造ってくださったのですから、そもそも人と比較すること自体がおかしいのです。では、私たちは何と比較しなければならないのでしょうか。それは過去の自分です。昨日の自分に比べ、どこが成長させていただいたところか。その事を繰り返すなら、私たちは健全に成長していくでしょう。私たちが見続けるのは他人ではなく神です。取税人は人を見ること無く、神様を真っ直ぐに見つめ、自分の罪深さを正直に告白しました。この態度こそ祈る人に必要なものです。

(4)幼子の心で祈る(15〜17節)
つづいては、幼子がイエス様のもとに連れて来られます。神様はここでも祈りにおいて重要な事を私たちに示しておられます。幼子とはなんでしょうか。一人では何も出来ない力のない存在です。特に、当時のユダヤでは子どもは取るに足らないものとみなされていました。そのようなものをイエス様は呼び寄せられたのです。もし、自分はとるに足らないものだと思う方がおられるなら、あなたこそ神様の御前に進み出るのにふさわしいものです。マタイの5章3節にも「心の貧しい者は幸いです。 天の御国はその人たちのものだから。」と書かれています。飢え渇いて、「自分は足りないものだ」という思いを持って祈るものに、神様は御国を与えてくださいます。

(5)祈りは行動を起こさせる(18〜23節)
つづいてのたとえは金持ちの青年がでてきます。彼は立派な人でしたが、貧しい人に施しをすることができませんでした。そして、イエス様は「裕福なものが神の国に入ることは、らくだが針の穴を通るより難しい」と言われました。これはどういうことでしょうか。エルサレムは当時、城壁で囲まれていました。昼は門が開かれ、そこから出入りすることが出来ましたが、夜になるとその門は閉められます。しかし、夜に出入りしたい人がいるでしょう。そういった人用に人が一人通れるほどのとても狭い非常用の門がありました。それが針の門です。そこは荷物などをすべて降ろさないと通れないような狭さです。つまり、私たちは心に抱えているすべてのものを捨ててなければ、その門を通ることが出来ないのです。祈りにおいてこの事はとても重要です。自分の必要ばかりを祈るのではなく、すべてを脇において主御自身を慕い求めて祈る。そのような者に天の御国は与えられます。

私たちがそのような態度で祈り始める時、今まで出来なかったことができていくようになります。金持ちの青年は自分の持っているものを人に与えることが出来ませんでした。あまりにたくさんのものを持ちすぎていたのでしょう。人は持ち物が多いと、それを守りに入ってしまいます。そこに心が持って行かれてしまいます。「宝のあるところにあなたの心がある」のです。これを聖書は偶像礼拝と呼びます。私たちが礼拝するのは主だけです。

主を礼拝するためには祈りが必要不可欠です。しかしよく、「あなたは祈ってばかりいて何もしていないではないか」と言われます。ところが実は、祈りこそが行動を起こさせる原動力になるのです。イエス様も朝早く起きて祈り、その後様々な御業を行われました。祈りから生み出されていない行動は私たちを疲れさせるだけです。しかし、祈りから生み出された行動は私たちに爆発的な力を与え、まるで追い風で自転車にのるように、主御自身が後押しをして下さり、道を開いていってくださるので疲れることはありません。真理は私たちを自由にします。御霊のあるところに自由があります。祈りから行動が生み出されるまで、主を見上げて祈り続けましょう。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

(6)すべてを捨ててすべてを得る(24〜34節)
さきのたとえを聞いた弟子がすかさず「わたしはすべてを捨ててあなたに従いましたよ!」と言います。それに対してイエス様は「神の国のために捨てるなら、永遠の世でわたしの命を受ける」と言われます。今の世は一時的なものです。私たちはこの後、永遠という世界で永遠の時を過ごします。今と永遠の世界、どちらが大切なのでしょうか。イエス様のために命を失うものは命を得ます。この領域まで祈りが引き上げれたものにはこの事が開かれていきます。すなわち、「すべてを捨てて喜んでイエス様に従う」ことです。そのようなものには、後の世を待たずして、主はプレゼントを与えてくださいます。それは、主の奥義を開いてくださるということです。
イエス様はここで弟子たちだけに、ご自分が十字架にかかり、三日目によみがえられることを語られます。(まだ弟子たちはこの事を理解していませんでしたが)神の国のためにすべてを捨てたものにだけ開かれていく領域があります。喜んですべてを主に明け渡すことができるように祈っていきましょう。

(7)目を開いていただく(35〜43節)
最後のたとえは盲人の目が開かれることです。この箇所にこのたとえが置かれているのは需要な意味があります。祈りが開かれていくと、全てを信仰の領域で見ていくことが出来ます。盲人は「ダビデの子よ!私をあわれんで下さい!」と叫び続けています。この一言に、上のすべてのステップが含まれていることにも注目して下さい。主を呼び求めるものに、イエス様は足を止めて呼び寄せて下さいます。そして、聞かれるでしょう「あなたは何をして欲しいのか」と。私たちはこの地で、神の国を解き放つという使命と特権があります。そのためには信仰の目が必要です。目の前で起こっていることに対して不満と文句を言うか。それとも信仰の目で捕らえ、主のご介入をそこに求めるか。私たちはその二択をいつも迫られています。もし信仰の目が開かれるのであれば、全てを御国基準で見ることができるでしょう。この領域で祈るものには18章の最後に書かれいる「みな神を賛美した」とあるように、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝できる日々を送ることができるでしょう。

とても長くなってしまいましたが、今の時代、私たちはこの領域まで祈りが引き上げられる必要があります。それは牧師や祈りの家のスタッフだけに必要なことでしょうか。否。すべての人にです。なぜなら、終わりの時代、すべての人に主の霊が注がれるからです。私たちがこの事実を掴み取るなら、日本は変えられます。いや、変えられなければなりません。その鍵を握っているのはあなたの祈りです。知恵と啓示の御霊が与えられ、この真理を悟ることができるよう祈ります。

■A:考えてみよう
あなたは祈りに失望したことがありますか?自分の基準で求めたり判断したりしていませんか?すべてのものを御国の基準で求めることができるよう、この7つのステップを通して祈りの力を知ろう。私たちはハデスの門を打ち破ることのできるほどの力ある御国の鍵を与えられています。主に希望を置くなら、その希望は失望に終わることはありません。主を見上げ、主に期待して、ゴール目指してひたすらに走り続けましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー