■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書15章全体(イザヤ書15章)
★ 本文は省略します。
■O:今日のコラム
ここでは、3つのたとえ話が出てきます。それらの共通する事柄は、悔い改めです。
迷った一匹の羊は、荒野(原語ではそうなっています。つまり御声を聞く場所)から迷い出てしまった羊。つまり主の御前からはなれてしまった羊を主の方から探してくださって起こる悔い改め。
銀貨をなくした女性は、もう少しレベルが上がって、結婚関係を見失ってしまった花嫁(10枚の銀貨は、当時の結婚指輪)が自分でその関係を取り戻すためにする悔い改め。
放蕩息子のストーリーも、父の元を離れてしまった放蕩息子が悔い改める話です。
ノンクリスチャンが主に立ち返るのも悔い改めですが、悔い改めは、信仰を持っている人にも必要な大切なものです。
何より悔い改めは、主にとって大きな喜びです。私たちが悔い改めるとき主は、大きな喜びに満たされるのです。
『私に帰ってきてくれた!私の元に近づいてくれた!』という感動を私たちは、主に与える事ができるのです。日々、悔い改めましょう!
私たちの悔い改めは、『ごめんなさい』という一言では片付けられません。放蕩息子の話でも、『死んでいたのが生き返った』とあります。主に喜ばれる悔い改めは、自分に死んで、主に生きることです。
悔い改めには7つのステップがあります。
『神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの 1 熱心を起こさせたことでしょう。また、2 弁明、3 憤り、4 恐れ、5 慕う心、6 熱意を起こさせ、7 処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。』(コリント人への手紙 第二 7章10-11節。※ 数字は筆者。)
悔い改めは、どんな悔い改めであっても処罰の断行、つまり神のさばきを受け入れ、心砕かれることが必要です。
『私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。』(詩篇119篇20節)
苦しみを免れたいだけの悔い改めは、言葉だけの謝罪のようなものです。
主の求めている悔い改めは、罪を犯したときには、『ごめんなさい。どうぞ赦してください。あなたとの関係を失わせないでください。あなたとの関係が回復するためならどうぞ処罰をなさってください。あなたのお気に召すようになさってください。』と告白し、砕かれる事です。
日々の悔い改めでも、私たちは、今まで回復した事がない領域に回復するために同じ事をするのです。
『主よ。私の願いは、あなたともっと一つになることです。そのために私が受け取らなければならない苦しみ、困難があるなら、どうぞなさってください。私は苦しまない道でなく、苦しみを経てでもあなたの御そば近くに行く道を望みます。』と砕かれることです。
主は、あなたが今までよりも、もっと近くに帰って来る事をこの上なく喜ばれます。
■A:考えてみよう
日々、悔い改めよう! 以下の祈りは、自分がしているものですが、自分なりの言葉で祈りましょう!
■P:祈り
主よ。私の求めているものはあなたです。
苦しみを避ける道ではなく、あなたの道に歩ませてください。あなたともっと一つになりたいです。そのために必要な苦しみ、困難があるのでしたら、今日の中で、どうぞお与えください。感謝して受け取ります。喜んで受け取ります。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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