■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書11章11-13節(イザヤ書11章)
★ (イエスはこう言われた。)「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
■O:今日のコラム
この章の始めに、弟子たちはイエス様に「私たちにも祈りを教えて下さい。」(ルカ11章1節) とお願いしました。そこで、始めにイエス様が教えられたのが、有名な「主の祈り」です。そして、イエス様は「主の祈り」を教えた後に、祈りに関する教えを、次々と話し始められました。
そして、出てくるのが上記の箇所です。
この直前には「求めなさい。そうすれば、与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」と語られています。
ここを見ると、私たちはついつい「自分に今必要な物はアレとコレで…。自分が今願い求めているものは、あの道が開かれることで…。この状況がああなることで…。」などと思いがちですが、ここで興味深いことに、イエス様は「とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」と語られていることです。
私たちが天の父に何かを求めるとしたら、まず最初に「聖霊」を求めるということが大前提として、イエス様は語っています。
ここでは省かれていますが、実際には「子がパンを下さいと言うのに、石を与えるような父親がいるだろうか?」という質問もイエス様はここで語られています。パンも、魚も、卵も肉的な命を保つのに必要な物です。そして、霊的な命を保つのに必要なのは、聖霊です。
肉体の死以上に苦しいもの、それは聖霊との交わりのない霊的な死です。そして、私たちが何かを求める時に、まず一番に必要なのは聖霊様なのです。
ダビデの時代には御霊が内住することはありませんでした。けれども、私たちには、その、ダビデがノドから手が出るほどに欲しかった御霊の内住が許されているのです。
マリアがイエス様を身ごもった時、御使いは「聖霊があなたの上に臨み…」と言いました。(ルカ1章35節)
イエス様がバプテスマを受けた時、聖霊が鳩のように降ってきて、イエス様の上に臨まれました。(マタイ3章16節)
イエス様は御霊に導かれて40日荒野に行かれました。(ルカ4章1節)
イエス様は聖霊によって喜びにあふれていました。(ルカ10章21節)
イエス様が人としてこの地上で歩まれた時に、大いなる御業を成すことが出来たのは、御父の御心に完全に添うことが出来たのは、常に御霊に満たされていたからでした。
イエス様が「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」(ヨハネ14章12節)と約束されたことの実現を見るためには、聖霊様が必要です。
祈る時に、私たちは自分の必要を脇に置き、イエス様がそうであったように、御霊を尊び、御霊に満たされて歩むことを、まず求めていきましょう。
■A:考えてみよう
天のお父さんは、最高のお父さんです。私たちの最善を願われる良いお父さんです。権力や圧力を与える、高い所から睨んでいるお父さん、というイメージを捨てて、最高の父のひざにのって、まず御霊を求めましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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