■S:今日の聖書の言葉

ルカによる福音書13章23-24節 (イザヤ13章)

★ すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」という人があった。イエスは、人々に言われた。
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。

■O:今日のコラム

救いについてある人が質問し、イエス様が、「狭い門から入りなさい」と答えています。

「努力して」という単語は、競走や、格闘技などの競技、戦争などで、勝利しようと死に物狂いで戦うように奮闘して、という意味だそうです。

また「救い」には、破滅から救出され神様の安全の中に導き入れられる、という意味がありました。

つまり、競技場や戦場で戦うように、死に物狂いで努力して、狭い門から入らなければ、破滅から救出されて、神様の安全の中に導き入れられることはない、と言われているのです….!

では、「門」は、何でしょう?

ここで「門」と訳されているギリシャ語「thyras」「thyra」は、イエス様がヨハネの10章で、「私は羊の門です。」(7節)、「私は門です。」(9節) と言われた時に使われた単語と同じ言葉です。

さらに、この単語は、マタイ6章の「奥まった部屋の戸をしめ」の「戸」でもあります。

イエス様は、ここで、「代価を払ってでも、苦労してでも、私という門を通して与えられる天のお父さんとの関係を慕い求めなさい、探し求めなさい。奥まった部屋に入って、天のお父さんの愛の中、安息の中で時間を過ごしなさい。」と言われているのではないかと思います。

イエス様という門。それは、イエス様の十字架によって、天地の創り主、万物の支配者なる聖なる義なる神様が、私のお父さんとなってくださった、と信じて、お父さんの御腕に飛び込む信仰です。

奥まった部屋の戸。どんな時にも、どんな場所でも、お父さんに祈り、お父さんに仕え、お父さんを愛する、お父さんの愛の中にとどまる、お父さんとの親しい関係です。

なぜ、この門は、「狭い」のでしょう?
「入ろうとしても、入れなくなる」人が多いのでしょう?

「狭い」という単語は、小さい、まっすぐという意味で、戸のそばに障害物があって入りにくい、という意味もあるそうです。

父なる神様との関係を結ぶということは、本当は難しいことではなく、イエス様を信じる信仰によって、お父さんをお父さんと信じるというシンプルなことのはずです。

それでも、この門が狭いのは、日常の忙しさや、この世の影響、罪意識、様々な気遣い、などなど、私たちを神様から引き離そうとする力が働いているからだと思います。
私たちは努力して、神様との親しい関係を持ち続け、この信仰によって、神様の愛の中にある安息にとどまらなければならないのです!

裁きが恐いから、恐れから、仕方なく神様を信じるのではなく、最初に、素晴らしい愛を注いでくださった神様に、愛をもって応えていく時に、親が愛する子どもを守るように、主は私たちを災いから、滅びから、破滅から、守り、救い出してくださるのだと信じます。

今日も、イエス様という門を通って、神様の愛の中に飛び込みましょう。
戦って、努力して、奥まった部屋に入り、お父さんに祈り、お父さんの声を聞きましょう。

お父さんの声を聞いたら、それに従いましょう。お父さんを愛しましょう。
愛されるため、受け入れられるために、ではなく、愛されているから、受け入れられているから、です。

■A:考えてみよう

■P:祈り

今日、イエス様の足元に来て、御顔を仰ぎ、御声に耳を傾けるのを妨げようとする力に勝利させてください。

御霊に導かれ、天のお父さんの安息の中にとどまることができるよう、助けてください。

イエスキリストの御名によってお祈りします。

【 とも子 】

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