■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書8章15節(イザヤ書8章)
★ しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。
■O:今日のコラム
御言葉は、良い心で聞くものです。御言葉は、頭でなく心で聞くものです。御言葉は霊で聞くものです。心が真っ直ぐであると、御言葉の恵みは真っ直ぐに霊に届いてきます。
私たちが信じたのも頭ではありませんでしたよね。心で信じたはずです。
『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(ローマ人への手紙10章10節)
真っ直ぐな心とは、真っ直ぐに主から聞く心、真っ直ぐに行おうとする心がセットです。それをよく、『通り良き管』という言い方をします。曲がっていないからスムースに流れるのです。
だからこのエピソードの直後にはこうあります。
『イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のためにそばへ近寄れなかった。それでイエスに、「あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立っています」という知らせがあった。
ところが、イエスは人々にこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。」』(ルカによる福音書8章19-21節)
そして聞き従うために、大切なのはまず聞くことです。だからその前の18節にはこうあります。
『だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。』(ルカによる福音書8章18節)
待っている人は、何を持っているのでしょう?
それは、聞くための心の耳です。
持っている人は何を持っているのでしょう?
それは、直ぐな心です。
どうしたら私たちの心が、踏み固められた道端でなく、柔らかで、御言葉の種が蒔かれるにふさわしい心、直ぐな心となるのでしょう?
それは礼拝です。
創世記2章15節で、アダムが『地を耕しなさい』と命じられました。多くの労働は、呪いとして課せられました。しかしこれは、呪いではなく、初めからある祝福の務めなのです。
この『耕す』とは、へブル語で『礼拝』という意味の言葉が使われています。
礼拝によって、私たちの心は変えられ、私たちの心は柔らかにされ、耕されます。
私たちは神の畑です。私たちは、この方の種が蒔かれるとき活かされるのです。
畑に何の種が蒔かれるのを望むでしょうか?
主は私たちに大いなる実りを備えておられます。
私たちの創られた目的に帰りましょう!
そのとき私たちは神の計画のさらに奥へと進んでいけるのです。
■A:考えてみよう
一日のすべてを主に捧げ、一日のすべてで礼拝しましょう! 直ぐな心で聞き、直ぐな心で行う、シンプルな幼子のようでありましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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