■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書5章16節(イザヤ書5章)
★ しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。
■O:今日のコラム
福音書には数多く、主イエスがなされた癒しと奇跡の業が記されていますが、主イエスは何故この地において数々の奇跡の業を解き放つ事が出来たのでしょうか? その為の重要な秘訣が今日の箇所に記されています。
それは「イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」という事です。
主イエスは神の御子なるお方です。しかし、彼は完全に神であると同時に、完全に人としてこの地に来られました。だから主イエスはこの地においては、眠る必要もありましたし、空腹や渇き、疲れを覚える事もありました。彼は人間を超越した能力を持った人としてではなく、私達と同様、弱さを持った人としてこの地を歩まれたのです。
しかし、その人の子が何故、超自然的な業をこの地に現す事が出来たのでしょうか。それは、御霊に満たされ、父なる神と親密な関係に生きる神の子として歩んだ故にその業が現されたのです。
主イエスは奇跡と癒しについて「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。」(ヨハネによる福音書5章19-20節)と言われています。
父が行う業を見る為には、荒野に退き祈る必要があったのです。祈りは主との交わりであり、親密な関係の中に生きる事です。祈りを通して主の御声を聞き、主の御心を悟り、この地に神の業を解き放つのです。
主イエスでさえ、この地上において祈り無くしては何も御父の業を行う事が出来なかったのであれば、なおの事、私達は祈り無くしては何も主の業を行えません。
祈り、御言葉に生きる事、本当にシンプルで基本的な事ですが、この歩みを続けて行きましょう。それこそが、神の子どもとしての歩みに不可欠なものです。そして、神の子ども達に次の御言葉が実現します。
■A:考えてみよう
信仰を持って次の御言葉を告白し、今日、遣わされる場所において主の癒しと奇跡を解き放ち、御国の福音を宣べ伝えましょう。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネによる福音書14章12節)
「病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコによる福音書16章18節)
「なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。」(ヨハネの手紙 第一 4章17節)
■P:祈り
主よ。今日あなたとの親密さの中で、御霊による豊かな油注ぎを求めます。イエス様がこの地を父の御心を行なって歩んだのと同じように、私もその道を歩ませて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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