■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記19章51節(同20章)
★ これらは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前で、くじによって割り当てた相続地であった。こうして彼らは、この地の割り当てを終わった。
■O:今日のコラム
ヨシュア記は私達が相続地を勝ち取って行く信仰を得る書簡です。
各部族に相続すべき割り当て地が決められた後、彼らはそれを何もしないで自動的に得た訳ではなく、それぞれの部族が戦い、地を占領する敵を打ち破り、割り当て地を勝ち取って行きました。
その割り当て地の区分は、今日の箇所を読むと、シロの天幕の入り口で決められました。つまり力強く主の臨在がもたらされる礼拝の場において決定されたのです。
現在、日本中で教会が祈りの家として立ち上がっていますが、教会が祈りの家となる時、第一に主の力強い臨在がそこに回復します。
その臨在の中で主は私達に対する割り当て地を示して下さいます。ある人にとってそれは家庭かも知れません。ある人は職場、またある人は学校かも知れません。
私は主の御前でよく「主よ。新宿の街を私に下さい。これが私の割り当て地です。」と祈ります。しかし、これは何もしないで自動的に相続出来る訳ではありません。その為に立ち上がり戦う必要があるのです。
祈りはその戦う力の源泉です。そして、その力を受けて今度は街に出て行き、実際的に人々の為に手を置き祈り、癒しを解き放ち、福音を伝えて行くのです。その時、罪と暗闇に捕われた人々の内に主の光が差し込む姿を見る事となります。
確かに街の大きさを見ると課題は大きく感じます。しかし、私の信じる神は、街よりも、この国よりも、全世界よりも大きなお方です。私達はこの方によって前進し、街々を勝ち取り、そこを福音という命をもたらす最も強力な武器によって占領し、そして王の王であられる主イエスの元に捧げるのです。
もう間もなく主イエスは戻って来られます。しかし、それを何もしないで待つ事は絶対に主の御心ではありません。
私達は刈り取る魂を全て主の元に勝ち取り、街々が変えられ、国々が変えられる姿を見ようではありませんか。御霊が私達と共におられます。
この終わりの時代に花嫁なる教会は栄光に輝き、超自然的な主の御力を現し、この地を主の為に相続地として勝ち取って行きます。
■A:考えてみよう
「主よ。私の相続地を下さい。」と今日、切なる願いを持って祈り、またそれぞれの相続地へと遣われて行きましょう。
■P:祈り
主よ。街を下さい。この国を下さい。それら全部をあなたにお捧げします。相続地を勝ち取る大胆な信仰を今日、御霊にあって受け取ります。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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