■S:今日の聖書の言葉

ヨシュア記5章13-15節(同6章)

★ さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」

すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」

すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

■O:今日のコラム

ヨシュアと共に新しい世代が約束の地カナンに入り、最初の大きな試練にぶつかります。それは難攻不落の城壁に囲まれたエリコの街でした。そのエリコの街との戦いを前にヨシュアは個人的に主と出会います。

この所に剣を抜いた主の軍の将が現れますが、これは受肉される前のイエス様ご自身です。

ここでヨシュアはモーセから教えられた信仰、モーセが出会った神、ではなく個人的に主と出会い、神を恐れかしこむ信仰を待つようになります。

モーセが燃える柴の中で主と出会った時と同じように、ヨシュアはこの場所で、自分のはきものを脱ぎ、主の御前にひれ伏します。

聖書の中で、はきものには様々な意味がありますが、その一つは過去の歩みです。今まで歩んできた荒野での生活は終わり、新しい信仰の領域に入る為に、はきものを脱ぎ、人生を主に捧げる事は重要な事でした。

もう一つ、はきものは権威を意味します。ヨシュアはここで、はきものを脱ぐ事を通して、自分の人生の主権を、主に委ねました。

この主との個人的な出会いの後に、エリコを攻略し、カナンの地を勝ち取って行く勝利へと進んで行きました。ヨシュアの勝利はすでに、ここで主と出会った事を通して、信仰と霊的な領域でなされていたのです。

私達の人生の最も大きな戦いは、難しい人間関係でも、困難な出来事でも、どんな問題でもなく、私達の心と思考の中で起こります。

私達の信仰生活において勝利を阻む最も大きな強敵は、サタンでも、環境でも無く、ここにいる自分自身なのです。

この最も大きな敵である自分自身の自我に打ち勝つためには、ヨシュアがはきものを脱いで主の御前にひれ伏した様に、私達は主イエスの十字架の前にひれ伏し、人生の主導権を、イエス様に捧げなければいけません。全ての勝利はそこからもたらされる事となります。

今日、私達はこの分岐点に立たされています。

これまでも自分のはきものを履き、今までと同じように自分を中心とした人生を生きて行くか?
それとも、主の御前にひれ伏して、人生の主導権を主イエスに捧げるか?どちらの道へと進むか決断する必要があります。

■A:考えてみよう

主の御前に祈り、主イエスの十字架を見上げ、主に従う決心を告白しましょう。

■P:祈り

主よ。私の自我を砕いて下さい。あなたに従い、自分自身に勝利する者とさせて下さい。ただ聖霊様あなたによってのみ、その事が可能となります。私はあなたに依り頼みます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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