■T:川を渡る

■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記 3章17節(ヨシュア記4章)
★【主】の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、 イスラエル全体は、 かわいた地を通り、 ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

■O:今日のコラム
皆さんは、車で遠出した時、また、電車に乗っていて、川を渡るとき、なんだかワクワクしませんか?特に、橋をわたっていて橋の真ん中に県境という看板を見つけた時には、よりテンションが上ったりします。

今日の聖書の箇所は、約40年間荒野をさまよったイスラエルの民が約束の地に足を踏み入れるその瞬間の記事が書かれています。イスラエルの民は荒野に入るときにも紅海が分かれるというありえない体験をしましたが、荒野を出るときにも同様にありえない方法で荒野を脱出します。
それは、ヨルダン川がせき止められるということです。今でこそヨルダン川は頑張れば何とか渡れるほど小さな川になっていますが、調べてみると当時は大きな川だったことがわかります。しかも、当時は借り入れの期間中で、その間は岸いっぱいにまで水があふれるほどになるとのことです。
その川に、契約の箱を担ぐ祭司の足が入った時、川は突っ立って壁のようになり、真ん中の乾いた所を渡ることができるようになりました。ここで僕が主から教えられたことは、「イスラエルの民全体」が川を渡り終えることが出来たということです。

ここでは大きく分けて二つのグループが登場します。一つは祭司、もうひとつはイスラエルの民です。この箇所を読んだ時、僕が思い出したのは先日新宿シャローム教会に来られたパク・ホジョン先生のメッセージです。そこでは、「神殿」と「聖なる山」ということが語られていました。「神殿」は祈りの家、教会です。そこで仕えるのはレビ人たちです。そして、そこでなされる絶え間ない祈りと賛美が神殿が置かれていた山の頂上から山全体に流れていくのです。その聖なる山に住むのがイスラエルの民です。このどちらも大切な働きです。このふたつのものが一つとされる時、ダビデの王国が完成するのです。

言い換えるなら、全国の祈りの家で仕えるレビ人たちが神殿に属する人、それ以外の教会に通っている皆さんが聖なる山に属するものになります。レビ人は祈り、聖なる山に属すものはその祝福をもって出ていき、戦いに勝利し、戦利品を宮へ携えてくるのです。年齢に関係なく、キリストの花嫁としての啓示が開かれているものはヨシュアの世代であると信じます。そのヨシュアの世代がひとつとされ、共にヨルダン川を渡り、約束の地に入るのです。

■A:考えてみよう
自分は神殿に属するものだろうか。それとも聖なる山に属するものだろうか。この両者は働きは違えど、同じ心を持っています。それは主だけを愛し、慕い求めるという花嫁の心です。宮に属するレビ人は今まで以上にみことばと祈りに専念しましょう。聖なる山に属するものは、いつも自分は主を通して神殿とつながっているということを覚えましょう。そして、できたら礼拝以外の日で1時間は神殿に来て祈りの時を持ちましょう。また、大切な決断をする時は、神殿で主との深い交わりの中で決断をするようにしましょう。そうするなら、私たちヨシュアの世代すべてのものが共に約束の地に入ることができると信じます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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