■S:今日の聖書の言葉
エペソ人への手紙1章3-4節 (詩篇62篇)
★ 私たちの主イエス・キリストの父であられる神は、なんとすばらしいお方であろうか。この神は、天のあらゆる霊的祝福を、キリストを信じる私たちに注いでくださった。それは、神がこの世界を造られる前から、キリストを信じるように私たちを選んでいてくださった祝福であり、神の御前に、愛において聖く、何一つ欠けの無い者としてくださるというものであった。(Modern Japanese Bible 現代訳)
■O:今日のコラム
ワールドカップ試合のために、勝利を託され、厳選された選手。国民からも監督からも絶大な信頼と期待を寄せられている選手が、「選ばれた」という自覚もなく、選手としてのトレーニングはそこそこにして、お弁当運びやボール磨きだけして毎日を過ごしていたらどうでしょう。
監督は恐らく「あなたは勝利のために選ばれたのだから、そのために力を尽くしなさい。」と言うでしょう。もし、そこでその選手が「そう言えばそうでした! ん〜でも、勝利は別にいいです。海外試合に行く時、インタビューされたりしてテレビに映れたら、それで満足です。」と答えたら、皆さんはどう思われるでしょうか?
パウロはこの章の中で、私たちは神にあって「選ばれた者、定められた者」であることを、何度も語っています。神様は私たちを、世界が造られる前から選んで下さり(4節)、また、キリストの身代わりの犠牲によって、神の子とするためにあらかじめ定めていて下さいました(5節)。そして、さらに、御国を受け継ぐ者として選んで下さいました。
この「選び」を思う時、それがもんのすごい特権であることに身震いします。
私たちが今、この時代のこの国のこの地域、そして今いるそれぞれの場所に生かされていること。それは、神様のこの完全なるご計画による「選び」なのです。この「選ばれた者」に与えられている身分、それは「神の子」としての身分です。
それには、どのような特権があるのでしょう。
御父と共にこの地を治める権利を与えられています。イエス・キリストという御名の権威も与えられています。そして、地にある悪しき力を禁じる鍵、そして天にある祝福をこの地上に解き放つ鍵が託されています。
文章だとさらりと読めてしまいますが、この特権の一つ一つはどれほどのことか! と感動を覚えるでしょうか?
それとも、自分はあんまり関係ないかな〜 と涼しく読み流してしまうような事柄でしょうか?
サタンが恐れていることの一つ。それは、神の子である私たちが、自分の身分を自覚し、与えられている権威に目覚め、神と共にこの地を治め始めることです。この与えられている特権の一つひとつを握った者勝ちです。
もし、私たちの人生の目的が、死んだ後天国に入ることだけであれば、これらの権威を発揮する機会はなく、漂流している舟のように、サタンの思惑に揺らされ、脅かされ、神の子としての権威は生かされずに終わるでしょう。まるで、テレビに映ることで満足する選手のようではないでしょうか。
もし、クリスチャンが毎週日曜日に教会に行き、あとは天国に行く日を夢見るだけで良いのなら、またクリスチャンにとって神の子としての葛藤、霊的戦いなどが関係のないものならば、なぜ聖書にエペソ人への手紙があるのでしょうか。
全世界、全被造物の上に立っておられるキリストが、私たち教会の頭として与えられています。
職場において、学校において、家庭において、また教会においても、もうこれ以上サタンの好きにはさせません。私たちは霊の目を開き、神が私たちに与えてくださった身分、権威、そしてサタンの働きを明確に見分けて、御名の権威によって、悪しき力を禁じ、遣わされた場所において主イエス・キリストの主権を宣言していきましょう!
この街の王はイエス様、この教会(職場、学校、家庭)はイエス様のものです!そして、私たちは主と共に治める者です!
■A:考えてみよう
自分の神の子としての身分を回復するためには、御父である神様との関係を回復する必要があります。そしてそのためには、御霊を歓迎し、御霊と親密な関係を持つことがどうしても必要です。
今日、聖霊様をさらに歓迎し、神の奥義を悟ることが出来るよう、御父の御心を知ることが出来るよう、御子イエス・キリストの犠牲の愛をもっと知ることが出来るよう、神の子としての身分を悟ることが出来るよう、求めて祈っていこう。
そして、それぞれが置かれている場所、地域、職場、学校、教会、家庭において、イエス様こそが王であることを実際に宣言していこう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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