■S:今日の聖書の言葉

ガラテヤ人への手紙2章20節(詩篇56篇)

★ 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

■O:今日のコラム

私たちクリスチャンはどのような歩みをしたら、主の栄光を現すことが出来るでしょうか?

たくさん答えはあると思いますが、そのうち1つは私たちが自分に死に、日々自分が負いべき十字架を負った時(ルカによる福音書9章23節)だと思います。

その自分に死んだ時に、生きたイエス様が私たちを通して現れると思います。

私たちが十字架を負った時、ヨハネが主を見て死人のようになった(ヨハネの黙示録1章17節)ように、自分は完全に消え、ただ主の栄光が現れます。

先日韓国からパク先生が来られた時、最後のセッションでひたすら「主の栄光が人生の目的」と、栄光のことを含めたティーチングしてくださいました。

天のお父さんは私たちと栄光を味わうために私たちを造り、私たちが罪の身体を脱ぐ時、肉を捨てる時に、栄光に入ることが出来るとおっしゃってました。アーメンです!

この地上で唯一主の栄光を味わうことが出来るのは「臨在」です。
この地上で味わうことが出来る「臨在」はどこで、私たちは体験出来るのでしょうか?

答えは「教会」です。教会は祈りの家であり、祈りの家は教会である。
教会に、祈りの家に、「主の栄光、主の臨在」があります!

■A:考えてみよう

私たちは主の栄光を共有するために造られ、この地上で主の栄光を現すために造られました。
私たちは日常、主の「臨在」をどれだけ味わっているでしょうか?

イエス様は私たちと栄光を分かち合いたいと願っておられます。

日曜日以外の週1日を祈りの家に足を運び、この地上で味わうことが出来る主の栄光を共に味わって行きましょう!

この地上で味わえる主の栄光をもーっと味わいたい! その飢え渇きがますますおこりますように!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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