■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 7章1節(詩篇46、47篇)
★ 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
■O:今日のコラム
この箇所でパウロは主の心を持ってコリント教会の聖徒達に「愛する者たち。」と呼びかけています。
私達が聖く生きる為には、まず主に全てをかけて愛されている、という前提が無くてはなりません。主の愛を味わわないで求める聖さは非常に宗教的で恐れの伴う神経質なものとなるからです。
しかし、私達が主との親密な愛の中に生きる時、聖さは律法的で窮屈なものではなく、私達の喜びであり、切なる願いとなります。
主と豊かな愛の交わりに生きる時、私達は御霊によって主と同じ心を受け、主の喜びが私達の喜びとなり、主の願いが私達の願いとなります。
また主が憎むものを私達も憎み、主がねたむものを私達もねたむようになります。
つまり、罪や汚れを憎み、聖さと御言葉に従い生きる事を愛する者へと変えられるのです。
主を愛し、主との親密な関係に生きる時、主に対する愛ゆえの正しい恐れを持つようになり、「罰や裁きを受けたくない。」という理由からではなく「あまりにも主を愛しているので、この方を傷つけ悲しませたくない。」という理由によって、罪から離れる情熱が内から溢れる様になります。
聖さを完成する事は、絶対に人間のがんばりや努力によっては出来ないものです。
しかし、御霊なる主は内なる熱意と、主の御心に歩む力を与えて下さり、御子キリストの血潮は私達の罪を完全に洗い聖め、罪の奴隷から主の子どもとしての身分を与え、御父の約束は私達を聖く傷の無い者へと完成する事が出来ます。
今日の箇所でパウロは「私たちはこのような約束を与えられているのですから。」と言っていますが、どの様な約束を受けているのでしょうか?
それが前の章の最後に記されています。この約束を共に口に出して音読し、自分の約束として受け取りましょう。
■A:考えてみよう
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(コリント人への手紙 第二 6章16-18節)
■P:祈り
主よ。あなたの御約束をありがとうございます。御子キリストの尊い血潮を感謝します。
主よ。あなたが戻って来るその時に、しみも傷もない、聖い花嫁として私自身と教会を主に捧げる事が出来る様、聖霊様どうか導き続けて下さい。
日々、全ての時間、心から主を愛し続けます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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