■S:今日の聖書の言葉

申命記34章10節(コリント人への手紙 第二 2章)

★ モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。

■O:今日のコラム

肩こりに悩まされ、数年前ぶりに整体を受けた時に整体師に言われた一言。

「ご自分で感じてるよりも、もっとひどい状態になってますよ。」

こっているのは自分でも分かってたが、プロの目にはもっと深刻だった。1時間かけて、体中のこり固まった部分を治してもらい、なんとか元の状態にまで戻った。

整体=気持ちいい、癒しタイム、というイメージがあるが、多くの時間が痛みを味わう時間である。

こりが小さければ痛みは少ないが、大きくなればなるほど、元の状態に戻すのに大きな痛みを伴う。

神様に対しても同じであると思う。主と向き合い、主に近づこうとする時、まず自分の内側の罪が示され、痛みと葛藤に苦しむ。

実際、祈りの家で祈る時に、まず始めに悔い改めの思いがやって来る。悔い改めることがあまりにも多すぎて本当に苦しくなる。

でもこれが安息に入るための重要なプロセスとなる。

いつまでも悔い改めず、罪を放っておくなら、神様との隔たりはどんどん大きくなり、回復するのに多くの痛みと忍耐が必要となる。

こり固まってしまったものを変えるためには、一つの決心をしなければならない。それは、「とどまる」という決断。

固い部分を強く押される時、いたい〜やめて~ とその場から逃げたくなるが、逃げていてはいつまでたっても回復しない。

問題のないふりをして生きていくことは簡単に出来る。しかし、表面的に何ともないように見えても、神様の目には全て分かってしまう。

痛みを通るけれども、固い部分が柔らかくされ、歪んだ骨々があるべき正しい位置に戻る時、不思議と体は軽くなり、余計な力はいらなくなる。実際、整体が終わった後、子どもを抱っこするのが驚くほどラクになったのを実感した。

また、同じ力で強く刺激されても痛くない。痛みを通る中で、それに耐える柔らかさ、柔軟さが与えられたからだ。

悔い改め、癒される時、聖霊の恵みが体中に行き巡る。

そこに余計な力はいらず、ただ聖霊の力だけが働く。痛みにまさる喜びを経験する。

この整体ならぬ聖霊体験を毎日の生活の中の第一優先としていきたい。

悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には入れない。

何をしてても喜びがない、満たされない、と感じる時、霊的状態は自分が感じているよりも神様の目にはもっと深刻な状態かも知れない。

解決はただ一つ。
主の臨在の中にとどまり続けること。その中で私たちは矯正され、安息の中へと引き戻されていく。

「そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。」(ヨハネの手紙 第一 2章28節)

■A:考えてみよう

礼拝や祈りの家で主の臨在を体験したら、今度は自分の生活の場所でそれを解き放とう。

日々の生活の場所で、エノクがしたように、堕落した世にあっても喜びの領域の中で生き、主と共に歩み続けよう。

日々の生活の場所で、モーセがしたように、友と話すかのように主と顔と顔とを合わせて祈り、主の臨在の中に入っていこう。

日々の生活の場所で、ダビデがしたように、主の御前で喜び楽しみ、心から溢れ出る祈りと賛美を主に捧げよう。

■P:祈り

主との親密な交わりは、何にもまさる喜びです。

主の臨在の中から一歩足りとも離れることのないよう、私を引き寄せ、 あなたの中にとどまらせて下さい。

日々の生活の場所で私のたましいは全きいこいに帰り、日々の生活の場所で私のたましいはあなたを褒め称えます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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