■S:今日の聖書の言葉
申命記24章18-19節(コリント人への手紙第一 8章)
★ 思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、あなたにこのことをせよと命じる。あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
■O:今日のコラム
以前に、「神様はいかに不公平なお方か」というタイトルのメッセージを聞いたことがあります。タイトルだけを聞くと、ええ?!っと驚いてしまいます。
神様は、私たちのために、命を捨て、罪の身代わりとなって下さいました。
公平に考えると、私たちは、受けるべきで無い者なのです。
それなのに主は命を捨てて、惜しみなく愛を注ぎ、私たちに値なしに、永遠の命という恵みを下さいました。これはまさに不公平なことなのです。私たちは滅びるはずだったのに、一方的な主の恵みによって命の書に名前が記されました!ハレルヤ!
この箇所は、『たとえ収穫のために働かなかった者だとしても、小さい者、立場の弱い者に、祝福を取り残しておいてあげなさい』という神様からの命令です。
私たちが誰かを主の愛で愛するということ、誰かに主から受けた恵みを流し出すということは、不公平で良いのです。
イエス様は言われました「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と。(マタイによる福音書5章44節)
私たちは自分のことを差し置いて、人がその恵みに相応しいか否か、愛されるに相応しいか否か、許されるに相応しいか否かと、測ります。人はそのような愚かな測りを持ってしまいがちです。
そのような時、主は私たちに語られます。
「思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。」つまり「あなたが、罪の滅ぶるべき中から、一方的な恵みにより罪から自由にされたことを思い出しなさい」と、主は語っておられます。
私たちは、いつも主の恵みを思い起こし(詩篇103篇3-5節)、イエス様にならって、愛し難きを愛し、許し難きを許し、人を測ることなく、主の恵みを分け与える者となっていきたいです!
■A:考えてみよう
自分にとっての、愛し難きは誰だろう。今、自分のまわりにいる、主の愛と恵みを必要としている人は誰だろう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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