■S:今日の聖書の言葉
申命記23章3節(コリント人への手紙 第一 7章)
★ アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、入ることはできない。
■O:今日のコラム
ものすごく厳しい命令ですよね。十代目の子孫さえ、決して、主の集会に入れない、この素晴らしい祝福の中に預かることができないって考えてみるだけでつらい・・・
なぜ、こんなことを宣告されてしまったのでしょうか?
それは、次の節にあるように、パンと水をもってイスラエルの民を祝福せず、また、イスラエルを呪おうとした(民数記22章)からです。ここから、イスラエルを祝福することがどれほどに重要か学ぶ事ができます。
しかし、この後に続く、7、8節にはエドム人とエジプト人について書いてあるのですが、彼らの場合、三代目には、主の集会に入れるとあります。
エドム人もエジプト人も、アモン人とモアブ人と同じように、神様に罪を犯しているし、イスラエルの民に対してよいことを行っていない、祝福していないのに、どうして、こんなにも差があるのでしょうか?
それは、アモン人とモアブ人は、神様の忌み嫌う罪をイスラエルの民に犯させ、イスラエルを汚したからです。
民数記25章に、モアブの娘たちが自分たちの神々にいけにえを捧げるためにイスラエルの民を招いた記述があります。また、31章にはミデヤン人と戦ったイスラエルの民がそこの女を生かしておいたら、モーセが激怒。なぜなら、ミデヤン人の女も、他の神々を拝み、バラクに通じる者達であり、民数記25章と同じ事がイスラエルに起こってはならないと考えたからです。
出エジプトの時代、エドム人とエジプト人は、イスラエルを嫌い、苦役を課したりしただけであって、彼らと関わり、罪を浸透させることは特にありませんでした。しかし、アモン人とモアブ人は、昨日のデボーション箇所である 第一 コリント16章にある不品行、偶像礼拝、姦淫などの罪をもって、神の聖なる民をけがしてしまったのです。ここに大きな違いがあります。
それで、主の集会に決して入れない!!と宣告されてしまったのです。
がっ、しかし。。。
皆さん、この主の集会から断絶されてしまったモアブ人から、あるヒロインが生まれているのですが、誰だか分かります?
ルツです!!
ルツはモアブ人。そして、彼女はユダヤ人と結婚しましたが、自分が生まれ育った神々をその家族に入れず、逆に夫の信じている真実な神様を信じ、この神様を「私の神です」と言いきりました(ルツ記1章16節)。これは、民数記で起こった事件の反対と言っても無難でしょう。
本当は主の集会に決して入ることができなかった民族。しかし、ルツは、イスラエルの神様を知り、自分の神々と家族をすべてを捨て、神様と神様の選ばれた民族ユダヤ人に一生仕えることを選び、その信仰と真実さのゆえに、主はボアズを通して、彼女を恵みと祝福である主の集会に入らせました。
このルツの信仰を主は認め、彼女を主の集会に入れただけではなく、彼女をダビデ、そして救い主イエス様がお生まれになる家系に入れました。
私たちも、本当は主の集会に入ることができない異邦人です。しかし、イエス様により、恵みの道が開かれ、私たちの信仰によって、その集会に入れるようになりました。
ルツにとって、主の集会に入るのは簡単なことではなかったはずです。自分の神々、家族、故郷、すべてを捨てて、主に従う信仰によって入れたのです。このような信仰を主は今の時代でも求めていると私は思います。
■A:考えてみよう
今日、すべてを捨てて、「神様、あなたに従います」という決心を主にしていきましょう。
そして、アモン人やモアブ人がしたようにではなく、イスラエルを祝福する者になっていきましょう!
また、ルツのように、「イスラエルの神こそ私の神だ!!」という人々がヨルダン(アモン、モアブとはヨルダンのことです)から沢山出てくる事をとりなしていきましょう!!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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