■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一 10章31-32節(申命記26章)
★ こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。
■O:今日のコラム
聖書は、どこを切っても、金太郎飴のように、神様を愛すること、隣人を愛することを教えています。そして、この二つは、切っても切れない関係にあり、神様を愛していながら、人を無視したり憎んだり妬んだり裁いたり見下したりすることは、本当はできないはずです。
でも、実際には、人への思いやり、優しさ、尊敬、配慮、忍耐、赦しに欠けてしまうことが多い私たちだと思いますが、もし、そうだとしたら、もっともっと、神様の愛を悟れるよう、神様の愛に満たされるよう、一層神様に近づきたいですね。
人を真心から愛するには、自分自身が神様の愛の中にどっぷり浸かることがどうしても必要です。
この時、効果的なのが、荒野に行くことです。祈りの家に行く。祈りの部屋に入る。
神様に飢え渇き、神様を慕い求める一時期、あるいは、一定時間、人から離れて、日常の忙しさも一旦脇に置いて、時には断食をもって(メディア断ちも効果抜群!)、寂しいところ、荒野に退き、祈り、御言葉を聞く、読む。
荒野は、神様と出会う、神様を深く知る、御声を聞く、素晴らしい場所です。
ある牧師先生は、見習い時代、アルバイトと神学校の両立で、あまりに忙しく、トイレの中で異言で祈ったり、聖書を紙に写して、細切れの時間でそれを読んで暗記したりしていたそうです。
人は神様と本当に出会う時に、神様に対する姿勢が変わるばかりでなく、人に接する様子も変わります。
我が家に、高校生と中学生の息子が二人いますが、神様は不思議な方法で、それぞれに深く触れてくださり、ここ数ヶ月の間に、二人は、生きておられる神様御自身を本当に知るようになりました。
神様の臨在の中で、神様と出会い、自分は神様にどれほど愛されているか、自分の罪がどれほど神様と自分の間を隔ててしまうか、いかに自分が神様のものであるか、神様のご計画は何か、ということを悟り始め、今は本当に主を愛する者になっています。まさに、聖霊様の働きです。
そして、息子たち二人は、主を愛し始めてから、まわりの人に対する愛も増し加わって来ました。柔らかい心になり、明るくなり、素直で、優しい人になっています。思いやりがあり、勇気のある子に成長しています。何よりも、兄、弟、お互いに対して、本当に親切になりました。
私自身がまだまだ取り扱われている領域ばかりで、この子たちの成長は、一方的な神様の恵みと、ただただ主に感謝しています。
イエス様が命がけで取り戻してくださった、神様との親しい、慕わしい、愛の関係を、こわしたくない。傷つけたくない。むしろ、よい行いをすることを通して、神様を喜ばせたい。神様がどれほど素晴らしい方であるかを人々の前で証ししたい。
このような動機で、「何をするにも神の栄光を現すために」行い、「ユダヤ人にもギリシャ人にも神の教会にも ―― つまり、まだ神様を知らないまわりの、しかもいろんなタイプの人々にも、教会の兄弟姉妹にもーーつまずきを与えないように」生きようとする時、それは、重荷ではなく、主を愛する、という喜びになります。
息子たちも、以前から、聖書を読んだり、親に従順したり、大人の手伝いをしたり、それなりによいことをしていましたが、どこかに、いやいや、しぶしぶ、言われて仕方なく(笑)、または、まわりの人に受け入れられるために、やっているところがありました。
でも、今はもう別人のようです。
神様に愛されているから、賛美する。神様が答えてくださると信頼しているから祈る。神様の愛のメッセージを読みたいから、聖書を読む。神様に、ともに歩んでいただきたいから、戒めを守る。神様が喜んでくださるから、従う。神様の愛に満たされて、兄弟を愛する。
そんな生きた信仰を見る時、親の私も本当に幸せです。
私たちが、宗教や習慣ではなく、人に見せるためではなく、神様との生きた関係の中で、神様の栄光を現すために生きる時、ほかの人々に愛を現す時、天のお父様も、喜んでくださると信じます。
■A:考えてみよう
神様の高い、深い、広い愛をさらに知るために、今日も知恵と啓示の御霊を求めましょう。
神様の愛に満たされるよう、今日も聖霊の満たしを求めましょう。
神様の愛に満ちて、第一の戒め、第二の戒めを守り、神様の栄光を現し、隣人を愛していきましょう。
■P:祈り
主の御名によってお祈りします。アーメン
【 ともこ 】
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