■S:今日の聖書の言葉
詩篇32篇1-2節(マルコ10章)
★ 幸いなことよ。そのそむきを許され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主がその咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
■O:今日のコラム
先日、ある方に福音を伝える機会がありました。(既に聖書を読んでいる方で、彼の中で罪ある状態を「悪い人」と呼んでいました。)
わたしと友人は、二つのことを質問しました。「あなたは良い人ですか、悪い人ですか。」、「良い人になりたいですか。」
彼の答えは、前者の質問に対しては「悪い人」、後者の質問に対しては「良い人になりたい」でした。
その答えを受け、人間は全ての人が罪人であること、その罪は人間には贖うことができないこと、唯一罪のない方であるイエスキリストがわたしたち人間の身代わりとなり十字架にかかって死んだこと、その方を受け入れることが「良い人」になる道であることを伝えました。
そのあとに、イエス様を受け入れる祈りをした後の彼の顔はとても晴れやかでした。
神様は、たくさんの祝福をもってわたし達に人生の楽しみを与えてくれます。
しかし、同時に様々な試練の中を通ることもあります。そんな中、聖書はわたしたちクリスチャンのことをあくまでも「幸いなことよ」と呼びかけてくださっています。
なににも代え難い十字架の救いを今日も覚えたいと思います。
■A:考えてみよう
今日の箇所である詩篇32篇1-2節の後には、このような箇所が続きます。
「この私には、罪状を認めたくない時がありました。おかげで、すっかりみじめな思いをし、くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしたものです。 神様の手は、いつも重くのしかかっていました。
私の力は、強烈な日ざしの中の水たまりのように干上がりました。 とうとう私は、自分の罪を神様の前にさらけ出さざるをえませんでした。「何もかも神様にお話ししよう」と決心したのです。
すると、神様は赦してくださいました。私の罪は跡形もなく消えたのです。 (詩篇32篇1-5節、リビングバイブル訳)
ダビデでさえ、このような時があったことは励ましです。今日、改めて十字架を感謝すると同時に悔い改めの祈りを神様に捧げたいと願います。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れな 】
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