■S:今日の聖書の言葉

詩篇33篇22節(マルコによる福音書11章)

★ 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。

■O:今日のコラム

主の恵みは偉大です。恵みは、私たちを赦して、受け入れておしまいではありません。私たちを養い、育てること、そのすべてが主の恵みによります。

主の恵みにとどまりましょう。主の恵みは私たちを、義とするだけでなく、私たちに義の行いができるように作り変えてしまいます。

「『義の行ない』っていうけど、恵みによって救われたんだから、義の行いを求めるのは、人の努力で主に認められようとする、『肉の力』なんじゃないの?」という意見があります。

「義はただで与えられているんだから、必死に求めるなんてナンセンスだよ」という意見です。

確かにただで与えられています。しかし、主を愛しているなら、『主に喜ばれることがしたい!』という自然な欲求を『肉の力で愛されようとする愚かな行動』という神学で捨ててしまってはいけません! その欲求は、主の恵みです。主の恵みにとどまりましょう!

『そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。』(テモテへの手紙 第二 2章1節)とあります。

ただ赦され、受け入れられるだけが恵みだなんて、うそです!
だったら恵みによって強められる必要がどこにあるのでしょう!?

恵みは、私たちに義の行いをしたいと願わせるだけでなく、実際に行わせるように作り変えてしまう力なのです。主の恵みによって変えられましょう!

『神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。』(コリント人への手紙 第二 9章8節)とあるじゃないですか!

義を行うことを願い、自分が作り変えられることを願って主の前に出ていきましょう!
主の恵みは、主の御前にあるのです。主の御前にとどまり、主の恵みにとどまりましょう!

具体的に最も大切なことは、祈りです。この聖句でも主を待ち望んだ時に恵みが注がれると教えています。

義に飢え渇くことは、人の力による信仰の歩みではありません。
義に飢え渇くからこそ、主にますます拠り頼むのです。

義に飢え渇く、その飢え渇きを捨ててはなりません。
『義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。』(マタイによる福音書5章6節)

■A:考えてみよう

義に飢え渇き、主の恵みに拠り頼みましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

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