■S:今日の聖書の言葉
詩篇29篇2節 前半(マタイによる福音書7章)
★ 御名の栄光を、主に帰せよ。
■O:今日のコラム
皆さんの中で、自分の名前を持っていないという人はいるでしょうか?
そんな人はいないと思います。
私たちすべての人は名前が付けられています。私は、自分の名前が好きではありませんでした。
何と言ってもローマ字で書くと長い!「Shunsuke」です。そして、英語圏の人からまず正しく呼ばれない。大体「シュンスキー?」って呼ばれます。更に、小学生の頃の定番のアダ名は「俊すけべ~」でした。
そんなことで、私は自分の名前にとてもコンプレックスがありました。しかし、ある時「介」と言う意味を調べて、自分の名前が大好きになりました。そこには、「間に入ってなかだちをする。また、なかだちをする人。ひとり。一つ。また、とるに足りないものを数えるときのことば。」とありました。これは祭司の働きではないか!と思わされました。
自分の名前を長々と説明してしまってスミマセン。しかし、この事は、主の御顔を慕い求めた結果起こったことなのです。
私は主の御顔を慕い求めました。そして、私たちのお父さんの名前であるヤハウェのお名前を叫び求めました。そうしたら、嫌いだった自分の名前が好きになってきました。この次は、皆さんの名前を大好きになっていくと思います。
これが第一の戒めである「すべてを尽くして神を愛する」事、そして第二の戒め「自分を愛するように隣人を愛する」事なのかと思わされました。
ダビデも【主】のお名前を叫び続けました。この詩篇29篇は、11節しかありませんが、その中でダビデは【主】を18回も呼んでいます。
聖書に書かれている太文字の【主】はヤハウェのことです。ユダヤ人はこの名前を呼ぶことができません。神ご自身の名前であるヤハウェが偉大すぎて、口にすることすらできないのです。
だから、彼らはヘブル語で「ヤハウェ」という文字が出てくるとそれを「アドナイ」と自動的に読み替えて読みます。私たち日本人にわかりやすく言えば「今日」と書いて「こんにち」と読まず「きょう」と自動的に読んでいるような感覚なのではないかと思います。
また、どれほどユダヤ人が「ヤハウェ」のお名前を大切に思っているかというと、聖書を書き写す時、「ヤハウェ」のところだけを空欄にして書き写します。そして、後ほど全財産をはたくほどの高級なペンを買い、それで恐れつつ「ヤハウェ」という名前だけを丁寧に書いていきます。そして、すべて書き終わった後、そのペンで他の事を書かないようにボッキリ折ってしまうというほどです。
それほどのお名前を私たち異邦人は呼び求めることが許されています。そのことを通してユダヤ人に妬みを起こさせるためです。
「では、 尋ねましょう。 彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 かえって、 彼らの違反によって、 救いが異邦人に及んだのです。 それは、 イスラエルにねたみを起こさせるためです。」(ローマ人への手紙11章11節)
旧約聖書では、神様はご自分の名前を「私はあるもの」とか「アドナイ・ニシ」「アドナイ・イルエ」などというのを私たちに示してくださっています。新約の時代の私たちに与えられている神様の名前は「アドナイ・イエス」言い換えると「ヤハウェ・イエシュア」です。私たちは大胆にヤハウェ・イエシュアのお名前を叫び求めましょう。
今日の聖書の箇所で使われている「帰せよ」というのは「ヤーハヴ」ということばで、「与える、ささげる、帰する、起因する」と言う意味があります。
すべてのことはヤハウェから出ています。
私たちに必要なのは、与えられたものをその源であるヤハウェにお返しすることです。ヤハウェが欲しいと思っておられるのは、礼拝や賛美以上に、私たち自身です。
生きた供え物として、自分自身を主に捧げていきましょう。また、ヤハウェ・イエシュアに私たちの栄光をお返ししましょう。そして、ヤハウェ・イエシュアのお名前を叫び続けましょう。
■A:考えてみよう
私たちの口から出ているものは主に喜ばれるものですか? それとも、そうでないですか?
私たちの口は主をほめたたえるためにあります。主に喜ばれない口のことばを意志を持って捨て去りましょう。
そのかわりに、主への賛美、ヤハウェ・イエシュアのお名前を褒め称えることばをいつも口から出るように自分自身を訓練してきましょう。
「ですから、 私たちはキリストを通して、 賛美のいけにえ、 すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、 神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル人への手紙13章15節)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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