■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書1章3節(詩篇21篇)
★ 荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
■O:今日のコラム
みなさんは車に乗っていて後ろから緊急車両が来たのを経験した事がありますか?
僕はあまり運転をしないので、たまに運転する時にあの音が聞こえてくると、冷や汗が出てきます。
緊急車両は昼間であろうと夜中であろうと関係なく、サイレンをけたたましく鳴らせて走行します。それは命にかかわる緊急の用事があるからそのようにしているのです。
今日の聖書の箇所はイエス様がこの地で働きをされる直前のところです。
バプテスマのヨハネという人物が民に悔い改めを叫んでいます。このことは旧約聖書のイザヤ書40章3節、マラキ3章1節で預言されている事の成就です。
このバプテスマのヨハネはどのような人物なのでしょうか。
この他にもたくさんあると思いますが、今日は4つの側面をみて行きたいと思います。
1.みことばに立つ人物
ルカによる福音書3章2節にはこのように書かれています。
「アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。」
バプテスマのヨハネは、自分勝手に福音を述べ伝えていたのではありませんでした。荒野で神の言葉が下ったので、福音を述べ伝えたのです。
荒野とは人生の苦しみ、試練などとたとえられますが、言語で荒野を調べるとミッダバールと言います。分かりやすく言うと「at ことば」ということです。
わたしたちが荒野に思えるような状況に立たされる時こそ、神様のことばを受け取る最高の時です。状況を嘆くのではなく、主を見上げましょう。
2.光を証する人物
ヨハネによる福音書1章7節には、このように書かれています。
「この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。」
バプテスマのヨハネは自分の立場を理解していました。この後に来られようとしているイエス様こそ、まことの光である事を知っていました。それは、先ほどのポイント、荒野でしっかりと神様からみことばを受け取り、それを土台にしていたからでしょう。
私たちもこのような姿勢でいたいものです。私たちは弱いですから、つい目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢に引っ張られてしまいます。
「主のため」と思ってはじめた働きが自分の自己実現のためにとって変わってしまう事があります。御霊で始まった事を肉で完成させてしまってはいけません。
私たちは何のためにミニストリーしているのでしょうか。誰を礼拝しているのでしょうか。
まことの光である唯一の神、イエス様です。私たちが光り輝いてしまってはいけないのです。
3.らくだの毛の着物を着た人物
マタイによる福音書3章4節には、このように書かれています。
「このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。」
らくだをヘブル語で調べると、「仕える、償い、報いる、譲る」などという意味があります。また、らくだは荷物を乗せる時、膝をかがめひざまずきます。これはへりくだりの象徴なのではないかと思います。
しかし、らくだはどんなにひざまずいても、また灼熱の砂漠の中でもまっすぐに首をあげています。この事は、いかなる状況下でも主をまっすぐに見上げる事をあらわしています。
バプテスマのヨハネは、このらくだの毛皮をまとっていました。つまり、へりくだり、神を見上げる事を私たちに示しているのではないでしょうか。
4.荒野で叫ぶ人物
バプテスマのヨハネは荒野で叫んでいました。その内容は悔い改めです。
考えてみてください。日本の山奥で毛皮を着た人が「悔い改めなさい‼」と言っているのを、わざわざ見に行きたいと思いますか?
しかし、実際にマタイによる福音書3章5節には、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出てきたと書かれています。ヨハネは何も自分の事を宣伝していなかったはずです。
ただ、みことばの真理に立って、主を礼拝していました。そこに人は集められたのです。しかも、人の耳に心地いい事は何ひとつ語っていません。逆に、厳しい事を語りました。しかし、その事で人々は悔い改めました。
私たちは、暗闇が覆ったように思える、荒野のように思えるこの地で、バプテスマのヨハネのように叫ぶ者になる必要があります。賢い5人の乙女と愚かな5人の乙女の例えに出てくる「ほら、花婿だ。迎えに出よ!」と叫ぶ者とならなければなりません。これはこの世の命以上に大切な救いに関することです。
これがダビデの幕屋の役目のひとつでもあります。
サイレンのようにけたたましく主の福音を告げ知らせるためにも、みことばの上にしっかりと立ち続け、主の血潮と油注ぎを受けて、へりくだりを持って御国の福音を告げ知らせていきましょう!
そうするなら、主が人を送ってくださり、救われるべき魂がすべて救われて行くと信じます。
■A:考えてみよう
わたしの心の中心はどこに向いているだろうか。イエス様が下さる物に心が奪われていないだろうか。
私が欲しいのはそう言ったものではなく、イエス様ご自身との親密な関係です。イエス様ご自身です。
第一の戒めを第一とする時、これに加えてすべてのものは与えられると聖書が約束しています。
恐れを捨てて、すべてを主に捧げてみましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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