■S:今日の聖書の言葉

詩篇1篇1-3節(同2篇)

★ 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

■O:今日のコラム

歩み、立ち、座る、という3つの自分の状態に関して触れています。

「悪者のはかりごと」とは悪い者のアドバイスを受け入れることです。批判されるとき、『やり返せ』というアドバイスが私の頭にやってきます。しかしそのような歩みに歩まないことです。

「罪人の道に立たず」とあります。
『立つ』とは、へブル語で、そこにとどまるという意味があります。罪人で良い、というところに留まらず、主に喜ばれる道へ進む事、変わっていく事を受け入れることです。

「あざける者の座に着く」とあります。
座とはポジションを指します。パリサイ人は、モーセの座を占めている、などでも使われますね。あざける者の座は、周りの人よりも高いところにあります。人を見下し、馬鹿にする、批判する者のポジションです。主は、末席に着きなさいと言われる方です。

これらの3つを総合すると、この世のやり方でスッキリする事、解決させる事、世の流れに身を置き、世の位に自分の価値を見出すことが言えます。

真実な者の状態は、そうではありません!
主の御言葉に絶対の信頼を置き、この上に立つという立ち位置を不動のものとするのが、何をしても栄える幸いな者の姿です。

詩篇1篇と関係の深い、エレミヤ書17章には、こうあります。

『主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。』(エレミヤ書17章5-8節)
 
ここでも、人間のやり方に信頼せず、主に信頼する者が描かれています。その者は、『暑さが来ても暑さを知らず』、『日照りの年にも心配せず』なのです。

つまり周りがどうあれ、環境に左右されない主の平安の中に留まり続ける者となるのです。周りのみんなが失望するような状況でも、心に平安を持ち続ける者です。

『満ち足りた心を伴う敬虔こそ大きな利益を得る道です。』ともあります。御言葉に信頼する者は、主の平安にとどまる者です。これが何をしても栄える幸いな者の姿です。

そして、絶えず主の愛の中に留まっている者、主の平安、主の喜びに留まっている者こそ、キリストの花嫁の姿です。

■A:考えてみよう

心に怒り、不満、批判、妬み、高ぶりが起こるとき、主を心にお迎えして、主の平安にとどまりましょう。心配を含めて、それらの感情は御側で仕える者の心ではありません。

主から引き離されるのが嫌ならば、何としてでも、祈り、主をお迎えして、主の平安にとどまり続けましょう!

悪者の道に歩まず、御言葉に歩む。そのことが積極的にそれを受け取る鍵です。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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