■S:今日の聖書の言葉
民数記32章12節(同31章)
★ ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。
■O:今日のコラム
エジプトを出たイスラエルの民の、荒野での40年間の放浪生活は彼らの御声への不従順の結果起こった出来事でした。
約束の地に偵察隊として送られた12人の内、カレブとヨシュア以外の10人が「その地に行く事が出来ない。」と不平と悪いうわさを口にし、その結果、全イスラエルがその悪いうわさを信じて、泣き悲しみ、主への不信仰の告白を口にしました。
同じ状況の中でカレブは「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」(民数記13章30節)と言い、主にある信仰に基いて宣言しました。
この彼らの信仰の故に主はこう答えられました。
「エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。
ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。」(民数記14章22-24節)
「御声を聞く」という事の本当の意味は、「それを知っている。理解している。」というだけではなく、それを聞いて真実な心で実行する事です。そして実行する為には、御言葉が信仰に結び付けられる必要があります。
新約聖書には「御言葉を聞く」という事に対してこの様な説明が記されています。
「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」(ヘブル人への手紙4章2節)
主の御言葉は私達の信仰に結び付けられる必要があり、信じる故に私達の行動や告白が変わって行くのです。御言葉と堅く結びついた心は、カレブやヨシュアの様に、この世の人々とは「違う心」となるのです。
私達は共に今の時代において主の御前に「違った心」を持つ者となり、主が約束している地を勝ち取ろうではありませんか。
■A:考えてみよう
今日、御言葉を読み、深く黙想し、祈りを持って主の御声を聞き、主の言葉が堅く私達の信仰に結び付けられますように。信仰こそが主の心を喜ばせるものです。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル人への手紙11章6節)
■P:祈り
主よ。心からあなたを愛しています。私の心の中にこの世とは「違った心」を下さい。御言葉の洗いと聖霊の満たしによって私を日々新しく変え続けて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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