■S:今日の聖書の言葉
民数記33章2節(同34章)
★ モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。
■O:今日のコラム
主は、モーセに命じて、40年間の荒野の旅程を、全部書き出しなさいと言われました。
私たちにとっては、なじみのない地名ですが、荒野を旅して来たイスラエルの民にとっては、一つ一つに大事な意味があったのではないでしょうか。
たとえば、同33章16節 に書かれているキブロテ・ハタアワは、うずらが飛んで来たところです。イスラエルの民が、マナはいやだ、ああ、肉が食べたい、すいかが食べたい、とつぶやいて泣いたところです。
ここで、民は、つぶやくのではなく、主に信頼して、ちゃんとお願いすること、また、マナは、本当に感謝して、感謝して受け取るべきであること、教えられたのではないでしょうか。
また、その次に移動したハツェロテは、ミリヤムが主に打たれたところです。
ここではどんな教訓を受けたでしょう?
主が立てた権威を恐れるべきであること。自分に賜物があって用いられたとしても、主が立てた権威をあなどってはいけないこと、批判してはいけないこと…。
40年の荒野の旅は、確かに、イスラエルの民が、不信仰のゆえに通らされた試練の行程でした。けれども、神様は、ただの罰として、彼らを荒野に放っておかれたのではなく、一つ一つの行程を、目的をもって通されたのです。
民は、荒野で迷子になっていたのではありません。モーセが、自分で考えて、「こっちかな?」「こっちに行ったら水があるかな?」「こっちが約束の地の方角かな?」と、彼らを連れ回したわけではありません。
主御自身が、昼は雲の柱、夜は火の柱の中にいて、民の先に立ってイスラエルの全陣営を導かれたのです。(出エジプト記13章21節他)
そして、エジプトの地で奴隷だったイスラエルの民は、荒野を通る中で、主の方法、主の備え、主に信頼するべきこと、主の権威、主のタイミングを学びました。
雲の柱、火の柱についていくことを通して、主から目を離さないこと、どんなに、長い滞在でも、短い滞在でも、主の導きに従うことを学びました。私たちが御霊に導かれるのを学ぶのと同じです。
らっぱの音を聞き分けることを学びました。預言(者)の声を聞き分けるよう、学んでいる私たちも同じです。
それは、約束の地に入る時に、主の民として、主の軍の勇士として、用意ができているためでした。
皆さん、私たちは、終わりの日の終わりの時間に生きています。目には見えなくても、霊の世界では、戦いが起こり、神の国を激しく求める人たちが、祈りをもって、宣言をもって、信仰の従順をもって、福音伝道をもって、癒しのみわざをもって、御国をこの地にもたらしています。
救われる前、この世(エジプト)で罪の奴隷、恐れや律法の奴隷だった私たちは、荒野という訓練期間をそれぞれ通らされて来たのではないでしょうか?
そのすべては、偶然起こったのではなく、主がご計画をもって、敢えて通してくださったと信じます。
大事なことは、私たちがそこで何を学んで来たかです。約束の地に入り、ハデスの門を打ち破り、家族の救い、友人の救い、癒し、解放、神の国の拡大を勝ち取って行く時に、荒野で学んだことをしっかり思い出しましょう。
試練や、試み、教訓を通して学んだこと、確信したところ、到達したところから、後退せず、横にぶれず、むしろ、そこから、先に進んで行きましょう。
ピリピ人への手紙3章16節 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
テモテへの手紙 第二 3章14節 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており…
■A:考えてみよう
私は荒野の試練の中にいるのだろうか。ここで、主が教えて下さっていることを、しっかり学ぼう。
私は約束の地に入ろうとしているだろうか(すでに足を踏み入れているだろうか)。
荒野で学んだことを生かして、主に信頼し、主の導きにすぐに喜んで従い、主との親しい交わりの中、勝利を得、御国を解き放って行こう。
■P:祈り
荒野を通る時に、主と出会うことができますように。主の御声を聞き、主の願う姿に成長できますように。
約束の地に入る時に、整えられ、装備されていますように。主を愛して、主に聞き従い、主の統治をこの地に解き放っていけますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ともこ 】
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