■S:今日の聖書の言葉
民数記21章9節(同22章)
★ モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
■O:今日のコラム
21章には、やっとの思いでエジプトを出てきたイスラエルの民がなんとエジプトを懐かしむような発言をしています。
そして、モーセに逆らい、「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。(民数記21章5節)」という姿が書かれています。
そんな民に「これには神さまも腹を立て(リンビングバイブル民数記21章6節)」、燃える蛇を送り、たくさんの人が死ぬという悲劇がおきました。
しかし、モーセのとりなしにより、「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。(民数記21章8節)」と主の憐れみがイスラエルの民にのぞみます。
あんなに苦しかったエジプトを恋しく思うなんて、なんてアホな民かと思っていたときもありましたが、私自身、イスラエルの民と同じようなことをしていることにこの箇所を読む度に思わされ、悔い改めさせられます。
■A:考えてみよう
青銅の蛇は、この時から約700年後にヘゼキアによって燃やされます(列王記 第二 18章4節)。なぜかというと、青銅の蛇を偶像礼拝の対象としてイスラエル人が香をたいていたからです。
青銅の蛇を主が送ってくれたように、人生の荒野を通る時、主が預言者や特定の働き人や、ある特定の事柄を通して、イエス様の十字架を思い起こさせ、私たちの傷を癒してくれることがあります。
しかし、そのことを握り過ぎることがないように私自身心を見張る必要があると思わされました。
青銅の蛇は、もちろん福音の予兆ですが、イエス様の十字架を知っている私たちは形式的にではなく、イエス様の十字架だけを仰ぎ、その都度語られる聖霊様の導きに従う者となりたいと願います。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れな 】
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