■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き25章2・15節、民数記3章3-4・10節
★使25:2・15 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを訴え出て、私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。
★民3:3-4・10 これらはアロンの子らの名であって、 彼らは油そそがれて祭司の職に任じられた祭司であった。
しかしナダブとアビフは、シナイの荒野で主の前に異なった火をささげたとき、主の前で死んだ。彼らには子どもがなかった。そこでエルアザルとイタマルは父アロンの生存中から祭司として仕えた 。
あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」
■O:今日のコラム
4月22日の朝です。今日1日、神様を求め、この地に天の御国を解き放っていきましょう。主は僕らを通して、主の栄光を現したいと願っているからです。他の人ではだめなのです。
祭司は神様に仕えるために聖別された、アロンの子たちに与えられた特権です。神様に仕え、民たちと神様との間に立つ者です。そして、人々を思いやることができる者です。
『 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、 神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。』(ヘブル人への手紙5章1-2節)
しかし、パウロさんや使徒たち、そして、イエス様を訴えたのは、当時の祭司長達でした。自分の仕事の業務以外のことをやっていたのです。しかも、神様の前に訴えるのならばまだしも、人間的な権威の場所に訴えを持っていきました。
なんてひどいんだと思いました。しかし、今、僕らの生活の中で、同じことが起こってしまう可能性があります。自分と人を比べて妬みの思いによってその人の弱さを見て悪口を言う。苦しみ悲しみ苛立ちを周りにぶつける。神様に問題を持っていくのではなく、周りにマイナスを訴えてしまうのです。
だからこそ、今、祭司としての仕事を取り戻していく必要があるのです。 神様に仕え、神様を知らない人達との間に立つ者となるのです。それには、イエス様の十字架と復活の力が必要です。
『しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に 、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。』(ヘブル人への手紙7章24-28節)
エルアザルさんは、『主は助ける』という意味です。イタマルさんは、『椰子の木のオアシス』という意味です。祭司は、主の助けを解き放つオアシスなのかもしれません。僕らは、主に召された祭司として、自分の周りに、主の助けを解き放つオアシスとなっていきましょう。主が僕らに力を与えてくださいます!
■A:考えてみよう
祭司としての油注ぎを求めていきましょう。祭司としての仕事を取り戻していきましょう。大祭司なるイエス様の御名を求め、イエス様の道を求めていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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