■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書26章(31-75節):65節(レビ記26章)
★ すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。」
■O:今日のコラム
この箇所は一つの話しの流れとして読み流してしまいがちな節ですが、しかし、この一節は主イエスが真の大祭司である事を証明する為の重要な箇所です。
レビ記の規定の中に「大祭司は装束を引き裂いてはならない。」(レビ記21章10節)と書かれています。それは身内が死んだ場合や、どんな憤るような出来事があったとしても引き裂いてはならない、というのが律法の中に記されている大祭司の規定です。
しかし、この箇所で大祭司はこの規定に違反をし、自分の衣を引き裂きます。つまり彼は人が立てた政治的な大祭司としての役割は持っていたとしても、神の目から見た真の大祭司では無かったのです。
衣を引き裂いた大祭司とは反対に、主イエスが身につけていた下着は引き裂かれる事がありませんでした。
ヨハネの福音書には「それは上から全部一つに織った、縫目なしのものであった。」(ヨハネによる福音書19章23節)と記されており、これが祭司が身につける下着であった事を理解する事が出来ます。
つまり、神の目から見て真の罪の贖いを成す大祭司は、その祭司の衣が引き裂かれなかったイエス・キリストであったのです。
大祭司の重要な役割は、神と人の間に立つ事です。私達はこの大祭司を通してのみ、天地を創られた創造主を父と呼ぶ、親密な関係の中へと入って行く事が出来るのです。
日々、私達はこの真の大祭司なるキリストの十字架の業を覚え、この方を通して主の御側近くに行き続けようではありませんか。
■A:考えてみよう
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル人への手紙4章14-16節)
■P:祈り
主よ。今日、大祭司なるイエス様の十字架の救いを通して大胆に主の御元に近づきます。その豊かな恵みの御座に近づきます。
そこに私の全てがあります。
その贖いの豊かな御業をほめたたえ、心から主を愛します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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