■S:今日の聖書の言葉
使徒21章13節(レビ記21章)
★ するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。
■O:今日のコラム
御霊に示された多くの者がパウロにエルサレムに行かないようしきりにとめました。
また、預言者がユダヤから下って来てはパウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」とパウロに伝えました。
パウロはこれを聞いて、そうか、それは危険だからエルサレムに行くのやめよう! となったでしょうか。
いいえ。パウロは預言を聞いても、その決心は揺るぎませんでした。
なぜならパウロは、自分の進むべき行程をひたすら走り抜くことを主にあって覚悟したからです。
そのこと故に苦しみに遭うことは、彼らから語られる以前に、すでに個人的に御霊に示され、悟っていました。(使徒の働き20章23-24節)
パウロは苦難の道を承知の上で、エルサレムに上ろうとしていたのです。だから、他人から何と預言されても、たとえそれが正しかったとしても、自分の召された道を変えるようなことはしませんでした。
主イエスの御名のためなら死ぬことさえもいとわない、力強い覚悟。それは、師なる主ご自身が先に模範を示して下さいました。
イエス様こそが、多くの苦しみを受け、殺されることを知っていながらその道を選び、父なる神様の計画に従順されたお方です。
私たちはおのおの主からいただいた命があります。この命をどのように使っているでしょうか。
教会の働きのため、宣教のため、社会のため、学校、家庭…など様々な選択があると思います。
大切なのは、主との親密な関係の中で、それをはっきりと見出すことです。
私たちは、あまりにも周囲の声を聞き過ぎています。それなので、主の声を聞き逃してしまうのです。預言も吟味が必要です。
私たちの師は、イエス様ではありませんか。弟子である私たちは、一番に主の声を聞く必要があります。
誰かの声を聞いてあっちだ、いやこっちだと、いつまでも主のみここをを悟ることも見分けることも出来ない群衆ではなく、主の弟子となり、主の声に従順していきましょう。主の日は近いのです。
この朝、主との親密さの中で、主のささやく声を聞くことが出来ますように。
「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。」(イザヤ書30章21節)
「ーあなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネによる福音書21章22節)
「ーそれぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」(ローマ人への手紙14章5節)
「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(コリント人への手紙 第一 7章20節)
■A:考えてみよう
イエス様が多くの苦難を受けることを弟子たちに示し始めたとき、ペテロは「そんなこと起こるはずがありません!」とイエス様に注意しました。
このあとのイエス様の言葉に、心突き刺されます。
「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイによる福音書16章23節)
人の基準、常識、心地の良さは時として、神様の働きを邪魔してしまいます。人を喜ばせること以上に、神様の目に最善なこと、神様に喜ばれることが何かを第一に考えましょう。
そして、主との親密さの中で、おのおの召された道を見出すことが出来ますように。
命は、時間とも言えます。10分からでも私たちの持っている時間を主に捧げて祈る時間としましょう。
捧げるなら、時間を失うところか、探していた答えを見出すのです。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイによる福音書16章24-25節)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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