■S:今日の聖書の言葉
レビ記17章10-11節 (使徒の働き17章)
★ また、イスラエルの家の者、または彼らの間の在留異国人のだれであっても、どんな血でも食べるなら、わたしはその血を食べる者から、わたしの顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。
■O:今日のコラム
今でもユダヤ人たち(特に正統派のユダヤ人)は、この御言葉の通りに、血を食べも飲みもしません。牛肉に関しても、血をしっかりと抜いたものを使います。なので、日本のステーキ屋で食べるジューシーなミディアムステーキとか、ここでは完全にアウトですね(^^;;
「わたしはその血を食べる者から、わたしの顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。」
なぜ、血を食べる、また飲むことを神様はここまで厳しく定めたのでしょうか?
神様は、御自分の御顔をそむけるくらい、この行為を喜んでおられません。なぜでしょう?
11節にその答えがあります。その血を飲むとは、そのいのちを飲むということになるからです。
この時代、羊や牛など、動物を民の罪の身代わりとして主の前に捧げていました。
もし、この血を飲むとしたらどういうことになるでしょうか?
それは、この動物のいのちを受けるということ。厳密にいうと、民の身代わりの動物たちの血なので、民自身のいのちを飲むことになります。そうすると、結局は汚れた罪の血、自分たちの血を飲むことになります。
だから、血を飲んだ人に関して、主は厳しく裁きます。
しかし!!!
イエス様は、ヨハネによる福音書6章53節でこのように語っています。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」と。。。
このことばを聞いた多くの弟子たちは「ひどいことばだ!!聞いてられん!!」と、イエス様が語ったことばをののしったと、この後に続く節に書かれています(60節)。
動物の血さえ飲むことが禁止されているのに、人の血を飲むなんて、ユダヤ人にとっては、本当に本当にあり得ないこと。というか、考えもしなかったことでしょう。
しかし、イエス様は、ご自分のからだと血を飲み食いしない限り、いのちがないと言われます。
なぜ、イエス様の血は、飲んでいいのでしょうか?
それは、私たちの身代わりとなったイエス様は、今も生きておられるお方だからです。その方のいのちがその血にある。だから、私たちがその血を飲むとき、私たちはその方のいのちを受けるのです!!!
■A:考えてみよう
しんご先生が前からずっと言っていることですけど、私からも言わせて頂きます。
今日、また、毎日、時間を作り、聖餐に預かりましょう。
イエス様のからだを食べ、血潮を飲みましょう!
そのようにして、イエス様のいのちが日々、私達のうちにみなぎりますように!!
■P:祈り
イエス様、あなたの愛のゆえに、そして私たちがいのちを得る為に、ご自身のからだと血潮を捧げてくださった事を、心から感謝します。
今日、あなたのからだと血潮を受け取り、あなたのいのちが私のうちに生きていることを宣言します。ハレルヤ!!
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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