■S:今日の聖書の言葉

出エジプト記17章3、7節 (同18章)

★ 民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇き死なせるためですか。」

それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。

■O:今日のコラム

イスラエル人は、エジプトから出てきて、1ヶ月もしない間に、水がないだの、お腹がすくなどで、エジプトの方がよかったと呟いています。

まずは、死海での大きな奇跡直後、15章24節で水が苦いので、つぶやきます。
今度は、16章3節で食物がないのにつぶやきます。
そして、今回は、喉が渇ききって、もう耐えられなくなったのか、つぶやきに増して、争いを起こします。

イスラエルは本当に乾燥している国です。日本の冬がずっと続いている感じです。

水で手を洗ったら、ハンドクリームを塗らないと痒いし、ヒビ割れして痛いし、朝起きると喉も鼻もカラッカラ。ましてや、この時代、荒野を旅するイスラエル人を考えると、水がない事にイライラする理由はよく分かります。

渇いている状態が続く。それがつぶやきの1つの原因になっていることがここで読み取れます。もし、いつも満たされていたら、つぶやくことはなかったでしょう(他のことでつぶやき続けたとは思いますが、それは置いておいて…)。

しかし、彼らは、荒野で一度満たされても渇いてしまいました。なぜなら、物質的な水は一時的なものだからです。

ここで、神様は岩を打ったら水が出ると言われましたが、この岩はイエス様の象徴でもあります。

そして、そこから水が出るとは、イエス様ご自身がヨハネ4章14節や7章37節が言っているように、生ける水がイエス様から出ていることです。

そして、また言われたことが、この水を飲む者は渇く事がないということ。
私たちは日々、この渇く事がない水をイエス様から得る事ができます。そして、満たされることによって、つぶやきから解放され、争いをなくすことができます。

7節に、この場所を、メリバと名づけたと書かれていますが、実は、もうご存知の方も多いと思われますが、民数記20章でモーセが岩を打って水を出すシーンがありますが、この水のことを「メリバの水」と呼んでいます。

実際の場所は、同じだったか曖昧ですが、ここでも、イスラエル人は水がないとモーセと神様に争っています。そして、実はこのシーンは、最初の争いから約38年後、ということは、イスラエルの第二世代目にあたる人々がモーセと争っていると。

モーセは、これにはもう耐えられなくなり、とうとう怒り、主の言われた通りの方法ではなく、岩を打ってしまいました。これにより、彼は約束の地に入ることができなくなってしまいました。

■A:考えてみよう

小さなつぶやきが争いに、争いが最終的には約束のものを失ってしまうことを、ここから学ぶことができます。

私たちも、何かにつぶやき始めたとき、聖霊様の声に耳を傾け、自分の心を探り、その渇いている部分をイエス様に満たしてもらいましょう。満たされているなら、つぶやくこともなく、争いもありません。逆に、賛美が自然と心から溢れてくるはずです!!

■P:祈り

主よ、私の心を日々点検してください。

つぶやき始めた時、自分が渇いていることに気がつき、イエス様から生ける水を受けることができるように、導いてください。
そして、あなたからの約束をひとつも逃す事がないように助けてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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