■S:今日の聖書の言葉

出エジプト記14章18、21、22節(同13章)

★ パロとその戦車とその騎兵を通して、わたしが栄光を現すとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」

そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

■O:今日のコラム

出エジプトしているイスラエルにとって、パロの軍隊は大きな問題でした。
しかし、その問題を通して、主は栄光を現されます。その問題があるがゆえに、主の事をもっと知ることが出来るのです。

私たちにも多くの問題があると思います。問題のない人は存在しません。
しかし、がっかりしないでください。その問題を通して主は、栄光を現され、私達は、主の事をもっと知ることが出来るのですから。

病いがなくては癒やし主を知ることが無いように、闇がなければ光なる主を知ることが無いように、戦い、問題がなければ勝利の主を知ることがないのです。

よく試練、問題は自分をレベルアップさせるといいます。確かにそれはあります。

しかし、どこまでレベルアップしてもレベルアップ自体に終わりはなく、それ自体が目的になると虚しいものです。

主をもっと知ることができる事は、私たちの心を燃やし続けます。聖書は、主を知ることこそ永遠の命であると言っていますから。

だから、いのちにあふれる歩みは、主を知っていく歩みです。それは、勝利者の歩みでもあります。勝利者にとっては、問題も主を知る機会。喜べますね。

愛する方をもっと知りたい。その情熱に終わりはありません。

その歩みの極みとも言える歩みが真っ二つに分かれた海を歩いた出来事です。
「モーセが上に手を差し伸ばすと」とは御言葉の宣言であるといえます。

なぜならモーセが上げたのは片手であり、15節には、『なぜ私に向かって叫ぶのか。あなたは杖を上げ、手を海の上に差し伸ばしなさい』とあるからです。

祈りと解釈もできますし、祈りも必要です。
しかし、いざ問題の前にあって、宣言は勝利をもたらすのです。

敵に囲まれてしまったような状況でも、『主が私の味方であるなら、誰が敵対できるでしょう』と宣言することは、勝利をもたらしていきます。

その中で、強い東風が吹きます。それは聖霊の風です。
風も息も霊もヘブル語では、『プニュ-マ』です。それが敵を退かせます。

海は、ここでやはり問題であり、海は黙示録では、大群衆を指しています。

かわいた地とある言葉は、ヘブル語でヤバッシャでありその語源はヤバッシュであり、侮辱されるという意味があります。

それは、右にも左にもそそり立つ壁の水の様に群衆に囲まれながら、その群衆から侮辱を受けながら、その真ん中を侮辱を受けながら歩む事を意味します。

勝利者のイメージからは程遠く見えるでしょうが、これこそ勝利者の中の勝利者の歩みです。なぜならこれはイエス様の十字架の歩みじゃないですか! この歩みはイエス様を知ることにおいても最高の歩みです。

■A:考えてみよう

問題を恐れない。問題によって主の栄光が現されると信じる。

問題によって主を知ることを求める。問題によってイエス様ともっと一つになれると信じる。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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